僕は建築のいらない世界をずっと夢見てきた。:岡啓輔インタビュー

 
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蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)工事中の岡さん(2014年5月)

 
僕は、高専という学校で建築を勉強し始めまして、だから、中学を卒業してすぐ建築を勉強し始めるんですよ。
 
最初に「建築とは」という話しから教わりました。建築を満たすべき「用、強、美」とは何か、まずは教わったんですね。雨が降ったらちゃんと雨を避ける場所をつくるとか、泥棒からモノをとられないように囲った場所をつくるとか、そういうのが建築だと15歳のときに教わったんですよ。なるほどなと思って。
 
で、そのときに、じゃあと、建築のいらない世界を考えてみたんです。それは雨も降らないし、暑くも寒くもなくって手をのばしたらそこに食べ物があって、そのぐらい豊かな世界だから泥棒もいないし、夢のような、ユートピアみたいな世界です。ユートピアが実現した世界で、人は建築をそれでもつくるのだろうかということを考えたんです。つくらない。つくる。どっちなんだろう。建築をつくる必要は全然ない。その世界で人は建築をつくるかどうか。
 
僕はたぶん今の今まで、そのことをずっとどっちだろうと考えてきた感じがあるんです。
 
たとえば、モダニズムと呼ばれる建築様式があります。僕は、モダニズムって絶対的な答えに行き着くような気がして、最初すごく惹かれました。つきつめると、建築に用途がなかったら、建築は消えてなくなっていい、とまで行き着くのではと。ならば、そういうギリギリのものをつくりたいなとずっと考えて設計をしたりしました。
 
絶対的な答えのある場所に行きたいという願望の背景には、今から思うと、自分に自信がないということが大きな原因でした。
みんながそうだよね、その通りだよねと言ってくれるような、何かよくわからないと言われたくない、これはこういう理屈でデザインしたと言ったら、「わかる」と、100%支持されたいという。そういう自信のなさが、原因でした。
 
一方で、いざ何か設計したり、つくったりすることになると、自分の表現のようなもの、感情のようなものが作品にでてしまうのが恥ずかしくて、そういう恥ずかしさからもすごく逃げたくて、なにか解決できる「答え」みたいなものを探していました。
 
高専を卒業してから、自分で決めて、いろんな現場を順番に経験して建築の世界を見ていこうと思っていました。住宅メーカーにも1年と決めて就職しました。型枠大工という大工も長いことやりました。それは、大工になって、ものをつくる現場にいることで何かみつめてみようと思ったからです。やっぱり、現場で、つくっていること自体はすごく楽しいんですよ。
 
だけど反面やっぱりこっちの「つくらない」ことのほうもずっと考えていて、どうやったらデザインが消せるのかということも頭から離れないんですよね。デザインを消すこと、消したくて仕方ない。自分の恣意的な表現の発露みたいなことをずっと消したくて仕方がなかったです。
 

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