僕は建築のいらない世界をずっと夢見てきた。:岡啓輔インタビュー

 
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蟻鱒鳶ル(2014年5月)

 
また、高山建築学校の流れで、僕と同じ年なんですけど、すでに早稲田の教授になっておられた中谷礼仁さんと知り合いました。中谷さんが「こういう思いで学会をつくりたいけど、岡、名前を考えてくれ。」ということで、じゃあ、『建築等学会(けんちくなどがっかい)』で行こうということになって、学会を立ち上げて3年くらいやりました。結局僕は名前を付けた以外は、ちっともなにも役にたちませんでした。その学会でSANAAの西沢立衛さん、アトリエ・ワンの塚本由晴さんたちと初めて出会いました。会ってみると、僕もずっと建築をがんばってきたつもりだけど、このあたりの真剣な人と較べたら、超偽物だ、全然かなわないと思って愕然としてしまいました。
 
昔から、建築家と言う人たちは頭良いんだろうなとは思ってたんですが、実際会ってみると、塚本さんでも西沢さんでも中谷さんでも、すごい情熱があるというか、暑苦しいほどガってしてるんですよね。それを見て本当にムリと思って自信喪失してしまいました。僕は僕なりに、大工仕事をして、日本中を旅して、建築を見て、それなりにがんばってるつもりだったんです。建築作業員からスタートし、鳶、鉄筋工、型枠大工、建て売り住宅の大工を経験し、一級建築士の資格も取りました。こんな風に一生懸命やってるんですけれども、全然かなわない、身体はガタガタになる、デザイン的にもなんだか止まってしまう、その頃に出会った本当にすごい人たちを見ていじけちゃう。という状態でした。
 
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高山建築学校(2016年8月)

 
悪いことは続きます。高山建築学校で師匠と思っていた倉田先生が神戸の震災をきっかけに病気が発症して、数年かけて身体がだんだん動かなくなっていかれるという状態でした。
 
それほど有名な先生でもないのですが、冴えていて、人を育てることがうまい先生でした。僕は一生、倉田先生についていって物事を教わろうと決心していたので、行く道無し、みたいな感じになってしまいました。
 

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