美術表現に関わる近時の国内規制事例10選(1994-2013)
10 recent cases of restricted artistic expression in Japan [1994-2013]

前書き

 美術について、公的・私的の主体の別を問わず様々な主体からの規制、またアーティストや展示実施機関による自粛、外部からの政治的・倫理的な抗議や、法的・経済的な制裁が行われるケースがあることは知られています。私自身もArts and Lawや文化機関での仕事で関わった中で様々な出来事がありました。しかし、こうしたケースがメディアなどを通じて表沙汰になるのはほんの氷山の一角で、多くは表沙汰にされることなく時間が経過していきます。

関係者のメンツやプライバシー、守秘義務にも関わることであり、表に出てこないものについて掘り出すには、丁寧に踏み込んで取材をしていくしかありません。それには個々の事例についてより深く詳細に、背景を含めて多角的に検討する必要があると考えます。例えば美術館を巡る規制や政治については、国内でも個々のケースを丹念に取り上げた書籍は何冊かあります。例えば橋本啓子の『水と土の新潟 泥に沈んだ美術館』(2012年アミックス刊) はその優れた一例といえます。

他方で、より多くの事例に触れつつ議論をしていくことも必要ではないでしょうか。国内の例ではありませんが、近年の欧米における美術館の権威化や商業化に対する関係者自身の生々しい議論をまとめたJames Cuno編『WHOSE MUSE?』(2004年プリンストン大学出版局刊/邦訳『美術館は誰のものか―美術館と市民の信託』2008年ブリュッケ刊)のような興味深い試みもあります(内容はやや古くなってはいますが)。こうした優れた先例と、昨年HAPSサイトで発表された「美術表現に関わる国内裁判例25選」への反響も踏まえ、書籍ではなくWEBコンテンツとして、事例集の形態をとり、筆者が「研究や実践を通じてたまたま知り得たケースをまとめただけの内容であっても、歴史の共有や議論のきっかけとしての意味は少なからずあるのではないか」と考えたのが、本稿執筆のきっかけです。

本稿では、1994年から2013年の20年の間、美術が規制を受けたり、自粛したり、企業や市民からの強い抗議を受けた事例のうち、特に作家や利害関係者が報道・出版物や自身のウェブサイト等で不満や懸念を公にしたケースをピックアップし、10の代表的な事例紹介を中心にまとめました。

なお、なぜ「この20年」なのか、あるいは何が「美術表現」に含まれ、何が「規制・自粛・強い抗議」に当たるかといった定義の検討や、悉皆的調査は未了です。従って、マスコミや当事者によって公表・報道されたにも関わらず、全く触れられていない事例も多くあるかと思います。その点、いわゆる「まとめサイト」の域を出るものではありません。本稿は報道や当事者のブログやインタビュー記事に基づいて二次的に構成されており、性質上必ずしも事実とは限らず、また公平な記述とは言えないことを予めご了承ください。「こうした中途半端な形で記録をまとめるべきではない」というご意見をいただくであろうことは承知しています。執筆者自身も同様の懸念を共有しているからです。その一方で、それでもなお、特に美術に関わる若い読者に向けて事件そのものに触れてもらいたいという思いから、不完全であることを承知で公開に踏み切ったことをご理解いただければ幸いです。

本稿はWEBという媒体の特性を活かして、特に公開時には知り得なかったケースについても、後日アップデートできるようにしたいと考えています。読者の皆様から情報をお寄せいただければ幸いです。

強調したいことがあります。本稿では、いわゆる「犯人探し」や責任追及、あるいは事実や当事者の判断の妥当性の検証などを行うつもりはありません。また本稿の中で筆者自身は「芸術(美術)に対するあらゆる規制は廃されるべき」という立場もとりません。むしろ、ある作品が規制された(されそうになった)という側面が過度に強調されるのは望ましくないことが少なくないと考えます。なぜなら、その作品固有の意味があったとしても、(「芸術の自由」の擁護を含めた)政治的な問題として扱われてしまうことで、作品の固有の意味が政治的な問題に隠されて見えにくくなってしまう懸念があるからです。この懸念は第一義的には筆者の観客としての立場からのものですが、自身の作品が規制された(されそうになった)作家も、同様の懸念を持ちえます。実際、規制を受けた作家が「規制を受けた作品」として見られることで作品の意味が損なわれることを嫌い、作品を生かすために自分を殺して、「あいつは規制に屈した」という批判を甘んじて受ける場合さえあります。

一方で、様々な「規制すべき」という圧力に対して、固有の対抗の論理や方法がなければどうなるでしょうか。その時もまた、個人のあらゆる企てが政治的な言説に取り込まれてしまうでしょう。

このような様々な側面を踏まえつつ、美術表現に関係する人々の間で近年の事例の存在を共有し、より深く調べて今後の様々な規制や抗議の可能性を検討していくための契機を提供することが、本稿の目的です。

なお、近年は、芸術家を支援するNPOや文化政策学者からも、既存の状況や規範への異論の提示という点で、ジャーナリストの活動と芸術家の活動は近いものがある、それにも関わらず、芸術家はジャーナリストなどに比べて自由な活動への法的保障が少ない場合があるということが指摘されています。その結果、個々の人々の人権の一部である「文化的権利」への障害となる可能性があります。

国連の人権機関においても、2012年から表現の自由とヘイト・スピーチの関係における基準作りなどとともに、日本を含む各国でどのような規制が行われているかが特別報告者によって調査され、それらを踏まえて2013年に「芸術的表現・創造の自由権」についての調査報告と勧告が報告書として出されています。

これらの点についてご関心のある方は、現在「Theatre & Policy(NPO法人シアタープランニングネットワーク刊)」にて筆者が解説記事「芸術の自由という人権」を連載中ですので、こちらの記事をご覧下さい。

2014.05.05

Pocket