ホワイトキューブ以後と震災以後:やなぎみわインタビュー
Miwa Yanagi Interview

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インタビュー実施日:2012年9月17日
会場:grid(鳥取県鳥取市)
聞き手:尾崎信一郎(鳥取県立博物館副館長)

 
尾崎
やなぎさんの経歴を振り返りますと、かなり以前より演劇的な要素をもった作品があることに気づかされます。93年の『エレベーターガール』(*1)では、画廊の奥にエレベーターを設置し、エレベーターガールを立たせて会期中、来場者をガイドするものでした。94年に兵庫県立美術館の『アート・ナウ‘94』(*2)という展覧会では、やなぎさんは毎週末12名の案内嬢を連れてきて展覧会を案内しました。その後、やなぎさんは写真表現に移られ、いわゆる美術の世界で華々しい活躍をなさいました。そして2010年に「演劇」と呼ばれうる作品の発表を始められました。まずやなぎさんにお聞きしたいのは、どうして10年以上の間をおいて、再び演劇的な作品を始められたのでしょうか。そのきっかけのようなものがあったのでしょうか。

 

やなぎ
私の写真作品はもともと演劇性の強いものでしたけれど、それとは別に、「いつかは演劇をやるだろう」という、何か宿命的に定められているような思いは、ずっとありましたね。その舞台というのはドラマのあるものだろうと、美術をやっていた時から予感はありました。2009年にベネチア・ビエンナーレに行って日本館に黒いテントを掛けた時(*3)に、トリガーを引いてしまっていたのかもしれません。それから間もなく、信じられないことに大きな劇場で舞台を作らせて頂ける機会がやってきた。もちろん劇場では初演出。ちょっと有り得ないです(笑)。これはもう、そういう運命だと思うほかないと。

 

尾崎
演劇の場合は、俳優の身体、セリフ、ドラマ性、あるいは舞台美術のようなものもあります。いわゆる総合芸術なのですが、そのなかでやなぎさんが演劇に惹かれる具体的な何かがあるとしたら教えていただけますか?

 

やなぎ
私の母や祖母は、歌舞伎とか宝塚とかが大好きな親でしたけれどね。

しかし彼女たちは日本独特の少女文化コードのようなものの下にあった。その甘美な息苦しさというのが、学生の時に初めて自分でチケットを買って観た唐十郎さんの舞台の、激しい解放感は、忘れられません。昨日の夜観たように鮮明に覚えていますよ。それをある演劇人に言ったら「それはもう感染しちまってるんだよ」と。一回感染したらハマってしまうのですが、私のように四半世紀も経って発症するのは珍しいでしょう。

ご質問に戻るならば、舞台は、当然ですが、時間が流れないといけない。時間をコントロールするのが、まだ弱くて。静止画の解像度をあげることはできるんですけどね(笑)。

 

尾崎
演劇の制作でも、まずシーンの立ち上げから始められることが多いんですか。というのも『My Grandmothers』(*4)では、まさにそのようなシーンの立ち上げが写真作品になっていると思うからです。

 

やなぎ
そういう方が私にとって作りやすいですね。写真の方法を応用できるので。でも舞台はそういう作り方ではないんですね。例えば、よくあるのが、まず脚本のプロットを見ながら、照明だけざっくり作るとかね。照明の流れを一時間半なりの公演時間に合わせて作っていく。そこからドラマの細部に入る。私の場合は、各シーン各シーンは細かに想像できるんですが、それが繋がっていかない。視覚を音楽をつくるように作るのは、まだ修行中ですね。

 

尾崎
ちょっと話が変わりますが、2010年以降の演劇への転回の最初になる『1924』(*5)の会場は美術館でした。美術館という空間は、やなぎさんのなかでどのように位置付けられているのでしょうか。

 

やなぎ
やはり美術館はずっと展示をしてきましたので慣れていますが、ただ、最終的に私には馴染まなかったと思っています。ホワイトキューブにも馴染まなかった。世界中の美術館で、美しい展示をたくさん見てきました。作品との距離、親和の持ち方というのは、最後は個人の好みなんですよ。美術館の作品所蔵という大目的は、作品の上に流れる時間を止めてしまうことですからね。舞台作品はナマモノで、保存不可能。私が舞台をやり始めるにあたって、2つの世界の橋渡しとなったのが、まず美術館というホワイトキューブに中にブラックボックスを立ち上げてみることで、それが、モホイ=ナジ・ラースロー回顧展(*6)の展覧会場内で上演された、『1924 Tokyo-Berlin』でした。

 

尾崎
あくまでも目的としては劇場があって、その過渡的なものとして美術館での公演があったということですか。

 

やなぎ
そうですね。私自身は劇場公演、最終的に野外劇をやりたいと思っているんです。ただ美術館でやるというのは面白い側面もあります。冷蔵庫の中にあったかい黒い箱を作るというのはお互いにとって刺激的ですよね。まあ、いろいろややこしいことも起こりますけど(笑)。ただそれは美術にとっても演劇にとっても良いことですよ。

 

尾崎
ホワイトキューブへの違和感とおっしゃられましたが、やはり自分の表現は展覧会ではなく演劇でみせたいということがあるんでしょうか。

 

やなぎ
もちろん。お客さん一人一人から木戸銭を頂くということをしたい。それでやっていくのは非常に大変ですけれど。極論を言えば、現代美術というのは大衆が支えなくても、世界の一部のグレートコレクターが支えていけば回っていく世界です。演劇はやはり大衆に支えられるもの。ただし、大衆に迎合すれば、どこまでも水は低きに流れます。日本の商業演劇がそうですね。作る側が観客の文化度を上げる努力を怠って、利益だけを追求し、水商売に例えば、安酒に水を混ぜて出されても味の分からない客を育てている。でも質の高い観客、目利きを育てるのは、それなりの資金や長い時間もかかる重労働なわけで。でもそれは怠ってはいけない。

本来、作り手と観客は対等で、相互作用をもたらすものです。

 

尾崎
『1924』シリーズの中では大衆性と政治性、その間で揺れる「演劇」というものがよく表されていたと思います。今回もそういったテーマは継続されていました。少し話を戻して、美術館と劇場の差異についてもう少しお伺いします。『Tokyo-Berlin』は、美術館の中での公演でした。美術館での鑑賞は、現実の空間で行われますよね。展覧会場の中には、作品があってそのまわりを来場者が現実として歩いてみている。その美術館の現実空間の中に、演劇というものを持ち込まれた。僕はそこに面白みを感じました。

 

やなぎ
『Tokyo-Berlin』では、展覧会を見ながら、だんだんと演劇の中に入って行くという手法をとっています。展覧会をみているうちに80年前の世界にタイムスリップしていくような。なので、展覧会をメタ的に取り扱っています。企画者の方には複雑な思いをさせてしまったのかなと思いますけど、私は美術館にはもっと異化効果が必要だと思うんですね。異化というのは演劇のひとつの機能ですが、現代美術のお家芸が、美術館にいったん作品が入ってしまうと、エスタブリッシュされてしまって生かされていないような気がします。

あと、美術館って即時性がないんですね。日本では特にですが、展覧会を見に行っても、当たり障りのない感想しか言わない。トークショーやレクチャーがあっても、そんなに活発な議論にもならない。芸術の評価は歴史に鑑みて行われるので、すぐに定めることはできないという暗黙の了解のせいなのか、観客の当事者性が薄い。

でも、舞台ってどうしてもその場で言わなきゃいけない空気感があるんです。蜃気楼みたいなものなので、消えてしまうので切迫感がある。まあ最悪の場合は劇中に中座して妨害するということすらあるわけです。とにかく歴史的に見ても、劇をする場というのは「広場」であって、そこは様々な人々が集って「ああだこうだ言い合う場」である、という認識が強い。神の依代でもあるし、生きた人間も死んだ人間も、集まってくる場なんですよ。

まあ、止まっている場所をザワめかせる試みでしたね。

 

尾崎
『Tokyo-Berlin』は、美術館で行われたもので、一般の観客もいるし、演劇を観にきた人もいる。演劇のお客さんの方はイヤホンを介して、その世界に入って行くわけですね。その対比が面白いと僕は思ったわけです。

 

やなぎ
劇場というのは何が起こってもおかしくない空間です。どんなことが起こってもお客さんはびっくりしない。例えば何千万もかけたセットの、どんな仕掛けであろうとも、お客さんが驚くのは最初だけですぐに慣れていきます。劇場はマジックボックスのようなものだと思いますが、お客さんもそういう心構えがあるので、何が起きても効かないんです。私も『海戦』のときはかなり頑張ったんですけど、「あれー、効かんなあ」と思いました。結局、俳優なんですよ。劇場の大衆性というのは、スペクタクルよりも何よりもイコンなんです。みんな俳優を、つまり人を見にくるんです。それから、劇場というのは何でもできるようでいて、やはり手数、手法が決まっている。けれども美術館というのはそうではない。バックヤードを舞台にしたり、ものすごく待たされたりとかっていう、私が試したことは演劇のホスピタリティからするとあり得ないことなんですね。そういうことができたのは、面白い試みでした。

 

尾崎
演劇と美術、やはり時間性の違いが大きいですよね。一時性と永続性の違いとでも言えるような。

 

やなぎ
演劇には持ち運びできない、複製できない、再現できない性格があって、そこから人間らしい曖昧さがどうしても強調されてくるんです。美術史と違って、演劇史には、勘違いや妄想のもとに歴史が作られてきたという事実もあります。後世に間違えて伝わることも多くて、そこが演劇のおもしろい点でもあります。

 

尾崎
美術は作品を後世に残していきますが、演劇は終わったらその場でバラしていく。その点で大きな違いがありますね。

 

やなぎ
基本的に日本では、劇団が劇場を渡り歩くカンパニー型です。ヨーロッパ型というのは劇場に劇団がついているので、演劇のレパートリーがあり、衣装なども残っているし、再演ができるので、後世に伝えていける可能性があります。日本は圧倒的に再演ができなくて消えていくことが多いですね。

 

尾崎
もう一つ質問なのですが、やなぎさんの作品には匿名性を持ち、かつ明確な役割を与えられた女性というものが登場します。それは、エレベーターガール、コンパニオンガール、案内嬢などですね。写真作品にもある役割を持った匿名の女性のイメージは反復されています。これはどういったことなのでしょうか。

 

やなぎ
確かにでてきますね。基本的には絵解き尼として出てくるんです。演劇空間の時間の流れとは別の時間の流れにいる存在。レイヤーが違うんですね。そのレイヤーの一番上に位置する存在です。彼女たちは前近代的な存在です。日本の中世の琵琶法師のような。

 

尾崎
狂言回しのようなものですね。それは音のレイヤーの問題とも重なりますね。

 

やなぎ
そうですね。彼女たちと近いイメージを持っているのは、プロパガンダアナウンサーというものです。例えば第二次世界大戦時の東京ローズですね。そういう職業は当時、イギリスにもドイツにもありました。ベトナム戦争の時にもあったそうです。彼女らはアノニマスな存在なんですね。しかも複数です。最終的には特定できない。そういう時代を担うアノニマスで複数の声ね。私の演劇に出てくる案内嬢はそのようなものです。もちろんそれは、演劇でいえばコロスに近いものでもあって、歌も歌えば、いろいろな役回りを演じもします。ただ一番の役割は時代の声を担うことなんです。

 

尾崎
少し今の話を写真のことに重ね合わせたいのですが、例えばエレベーターガールは匿名であり複数のもの、交換可能な女性です。それが『My Grandmothers』のシリーズになると、匿名でありながら固有名を持った女性になりますね。個人的な思いが反映されている。そういう二つの女性像を抱きながらやなぎさんの演劇をみてみますと、それらが共に含み込まれていることがわかるわけです。

 

やなぎ
そうですね。演劇はレイヤーが作りやすいです。いくつあっても構わない。あんまりあると混乱してしまいますが。レイヤーを増やすのであればメッセージは単純にしろ、という人もいますが、ワンメッセージの演劇なんてそれこそプロパガンダです。

私は混乱したままのものが好きですね。

 

尾崎
私はやはりその効果が美術館での公演ではよく表せていたと思います。『人間機械』では、お客さんが案内嬢にいざなわれてバックヤードにいく。そしてその搬入用のエレベーターに乗る。そこで、現実と虚構が重なっていく。やなぎさんご自身の過去の作品を参照しながらも、それが現在におかれ、かつ美術と演劇のあるいは、美術館と劇場というはざまも鮮やかにみせる、非常に効果的な演出だったと思います。ここで一つ質問なのですが、観客と俳優あるいは演じる人と観者が互換可能な側面もありませんか?

 

やなぎ
俳優と観客を混ぜるというのは寺山修司なども試みていたことですね。2010年、私の最初の作品は、京都芸術センターで行った『桜守の茶会』(*7)ですが、あれも20人の観客の中に俳優を5人も仕込んでましたから。『1924』も最後の方はそういう感じになったかな。ただ、それをやるとそれが目的化しちゃうんですよね。

 

尾崎
その話で思い出したんですが、『1924』のなかでお客さんがデュシャンのシャベルの作品の前に行くところがありますよね。案内嬢が「これがデュシャンの作品です」とか言いながら、その作品を手で壁からはずしてしまうわけです。僕らは美術館の人間ですから、ギョッとするんです。あとで、実はやなぎさんがホームセンターで買った普通のシャベルであることがわかるのですが。そこではホワイトキューブのなかにあれば何でも作品になる、というデュシャンの命題が演劇的に再演されているわけですね。そこがすごく面白かった。

 

やなぎ
演劇をホワイトキューブのなかにいれるというのは、それ自体稀有なことですね。異なるものがぶつかってしまうわけですから、受け入れる側も勇気がいるはずです。美術館サイドがね、「芸術は栄えよ、美術館が滅びようとも」という思いと「美術館は栄えよ、芸術が滅びようとも」という二つの感覚を楽しめる余裕がないと。でも日本の美術館も劇場も、本当に皆、芸術について考える間もないほど、大忙しなんですよね。

 

尾崎
ところで、映像が非常に効果的に使われていますね。印象的なのは『海戦』ですね。映像についてはどのようにお考えですか?

 

やなぎ
悩ましいですね(笑)。舞台に映像を使うことへの抵抗もありますが、私の中で、映像がなければならないシーンだという必然が発生したら使いますね。

 

尾崎
映像を見ていると、『パノラマ』(*8)の電車のシーンでルイ・リュミエールの映画『列車の到着』(1895/仏)を使っています。『人間機械』では『メトロポリス』(1929/独)のようにアンドロイドが労働を支えているようなモティーフの近さを感じました。やなぎさんの演劇というのは、絵画や映画のモティーフが導入される場合が多い。通常演劇というのは、お芝居はお芝居であることを前提につくられていると思うのです。ですが、やなぎさんはメタ的な要素がある演劇。全て一種の再現として演劇が成り立っているのがおもしろい。演劇と美術や絵画それに映像、あるいは、演劇と演劇という様に関係性そのものが浮かび上がる「演劇」だと感じました。

 

やなぎ
「現代美術出身」なのでメタフィジカルは得意、というか一種の病いですよ。フィジカルが足りなくて(笑)。

 

尾崎
マリーナ・アブラモビッチがグッゲンハイム美術館で行なった『Seven Easy Pieces』(*9)という、過去に行なわれた有名なパフォーマンスを自分の身体をもって再現することを一週間続けるショーがあります。演劇やパフォーマンスというのはそのとき限りというのが我々の認識で、それを蘇らせるには記録写真や記録映像での再現が当たり前でしたが、アブラモビッチは自分の身体で再現した。やなぎさんも村山知義の絵画や演劇、ダンスの再現を演劇でされた。そういうことは今までなかった試みであると思いますし、やなぎさんの特徴ではないでしょうか。

 

やなぎ
『海戦』は、築地小劇場のこけら落としなので、記念すべき作品のはずですが、ほとんど再演がされていないことを疑問に思っていたのです。そして、再演されてこなかったことを提唱する必要がありました。そこには、日本の演劇史には少々アンタッチャブルな部分があって、15年戦争に入る時に左翼と右翼にわかれていったことが人間の生死をわけたらしいです。その歴史が一つのトラウマのようになっているみたいですね。美術と違って演劇は組織や体制として継続していることもあり、触れられないこともけっこうあるんですね。『海戦』に文学座の若い方々が客演してくださったのも、そう考えると感慨深いものがあります。

 

尾崎
『海戦』のなかで、表現されようとしたものは何ですか。

 

やなぎ
『海戦』は入れ子構造にしてあるので、そのシーンをやることによって別のことを言える様になっています。例えば、日露海戦での戦艦の崩壊が、築地小劇場の崩壊を表したりしていますが、アヴァンギャルドと大衆の永遠に繰り返される実を結ばない恋愛関係とか、芸術自体の手負いの永遠の旅路とか、大正期の先鋭たちの闘いを自分の中に入れようとしたんですね。

 

尾崎
少し話は大きくなるのですが、演劇における近代という問題についてはどのように考えていますか。

 

やなぎ
ニューメディアを飲み込んで拡張していくビジュアルアートと違って、舞台というのは、歴史を鑑み易いと思いますよ。たとえば日本の劇場用語にしてみても言葉一つ一つに日本の長い演劇史が集約されているし、何より、舞台は死者も生者も集まる場であり、時間が超越する。よく能役者の宗家の方がお面を被ると自分が何代目か分からなくなるというじゃないですか。「ひとつながり」を感じやすい芸術表現なんです。舞台が終わると何も残らないかわりに、上演時間の中に原初から現代にいたるまで全てが凝縮されている。ですから、いくら19世紀以降の近代演劇が心理的リアリズムを追求しようと、現代演劇が物語を解体しようと、基本的に古代のシャーマニズムの「憑依」や「ふり」と変わらない部分を永遠に抱えているわけで、人と人が向かい合う場に流れる「交通」のエネルギーは変わらない気がするんですよ。

 

尾崎
答えなき伝統の系統が繰り返されている感覚なのかもしれないですね。

 

やなぎ
舞台はこの世を映す大鏡であり、その鏡には様々なものが映し出されるけれども、近代が訪れたのか、時間が流れているのかどうかすらも、ふと分からなくなる時がありますね。そういう魔のような連綿と、アーティストの個が、舞台では、常に拮抗していますよ。

 

 

 

(*1)1993- 『エレベーターガール』シリーズ
http://yanagimiwa.net/elevator/index.html

(*2)1994 「アートナウ’94・啓示と持続」兵庫県立近代美術館

(*3)2009 第53回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館展示
やなぎみわ「Windswept Women:老少女劇団」
http://www.jpf.go.jp/j/project/culture/exhibit/international/venezia-biennale/art/53/01.html

(*4)2000- 『My Grandmothers』シリーズ
http://www.yanagimiwa.net/grandmothers/index.html

(*5)2011- やなぎみわ演劇プロジェクト三部作『1924』
『1924 Tokyo?Berlin』/『1924 海戦』/『1924 人間機械』
http://www.yanagimiwa.net/1924/index.html

(*6)2011『視覚の実験室 モホイ=ナジ/イン・モーション』京都国立近代美術館
http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2011/387.html

(*7)2010『桜守の茶会』京都芸術センター(明倫茶会)
http://www.kac.or.jp/program/3035/

(*8)2014-『パノラマプロジェクト』
http://panorama.kitanaka-school.net/

(*9)2005『Seven Easy Pieces』Guggenheim Museum/Marina Abramovic
http://pastexhibitions.guggenheim.org/abramovic/
 
 
やなぎみわ
神戸生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。
1993年に京都で初個展。以後、96年より海外の展覧会にも参加。2009年第53回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館展示。若い女性が自らの半世紀後の姿を演じる写真作品、「マイグランドマザーズ」シリー ズ、実際の年配の女性が祖母の想い出を語るビデオ作品「グランドドーターズ」他多数。
2010年から、舞台作品の演出や脚本、美術も手掛ける。『1924』三部作、『ゼロ・アワー』など、海外公演も行い、国内外で活躍、高い評価を受けている。
Miwa Yanagi
http://www.yanagimiwa.net/
 

尾崎信一郎
鳥取県生まれ。鳥取県立博物館副館長。兵庫県立近代美術館、国立国際美術館、京都国立近代美術館を経て2006年より現職。著書に『絵画論を超えて』、共著に『美術批評と戦後美術』など。主な展覧会に「重力―戦後美術の座標軸」(1997年 国立国際美術館)「アウト・オブ・アクション」(1998年 ロサンジェルス現代美術館ほか ポール・シンメルらと共同企画)「痕跡ー戦後美術における身体と思考」(京都国立近代美術館 2004年)「中ハシ克シゲ展―連鎖する記憶」(鳥取県立博物館 2007年)など。

 

2015.11.12

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