僕は建築のいらない世界をずっと夢見てきた。:岡啓輔インタビュー

 
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高山建築学校(2015年8月)

 
岡画郎をやったり、舞踏やったり、の流れで、たくさんの芸術家に出会いました。マイアミや小川てつオ君もそうだし、いろんなダンサーとかいっぱい出会って、刺激や影響は受けますが、やっぱりそれでも基本的には自分には芸術は無理だと思ってました。何かを表現をするために自分の内側からあふれてくるような必然性が僕にはさっぱりないからです。
 
ただ、いきなり真っ白なキャンパスに絵を描き出すとか、木を彫り出すとか、そういう必然性は、僕や、普通の人にはないものだけど、やはり、体力や頭を必死に使って、ある時は他人も巻き込んだりする、ものをつくる喜びの全力感はきっと誰にでも当てはまるものかもしれない。そう考えると、芸術家のようなことにならない人は衣食住のことをやればいい。僕はこの十数年間、蟻鱒鳶ルをそんな感じで作ってきました。
 
でも、つい最近ようやく、やっぱり美しいものがつくりたいなという気持ちになっています。美しいとか、感動するとか、そういうところは俺には及ばないし、避けて進もうと思っていました。楽しんで作れればそれで良しとしようというくらいでいたけれども、やっぱそうじゃないなと。どういうものに美しさが潜んでいるのかとか、どういうものに感動する種があるのかとか、避け続けてきたけれども、そこを頑張ろうと、思い始めています。
 
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金沢21世紀美術館での展示設置作業(*8)(2015年1月)

 
そして、最近はこんなことも考えています。
 
人類が誕生してから何千万年という歴史の中で、人類はひとつの夢を達成しつつあるのかもしれない。明日、病気や飢えや事故で死ぬようなことがないように、そういうことのない社会をつくろうということで、世界中で頑張ってきて、でも、何千万年の夢がこの数十年で、現実に世界のあちこちでまだまだわずかな一部であっても達成しつつあって、今、世界は何千万年かの夢が終わった後、なのかもしれない。
 
今から重要なのは、これから何千年って持ちこたえるだけの大切な何か、こういうことをすれば人類は素敵じゃないのということを、いろんな人が発明していくこと、そういう時代なんだと思います。
 
僕はそれはものをつくる喜びと関係していると思っています。
 
人類全員が芸術家になることは不可能だとしても、身近な衣食住に関すること、寒いから洋服をつくろう、おなかがすいたからごはんをつくろう、野菜もつくってみるか、雨除けの屋根を補修してみよう。衣食住に関しては、やるべき必然性がそこにそなわっているから、つくりはじめさえすれば、つくる喜びがグイングインと回っていき、その喜びは芸術家に負けないくらいのものになっていきます。僕はこれが今からとても大切なものじゃないかなと思っています。
 
僕は、いつもはいているズボンも自分で縫います。破れたりほつれたりしたところをチクチク縫います。一生このズボンをはくと決めています。縫い方も適当ですけど、手縫いで、このズボンだけで何千時間と縫っています。破れても、破れても、そこを攻めて縫ってる。実は僕は色弱なので色とか、わかってないけど、それでも本当に楽しいです。
 
ユートピアが実現したとき、人はそれでも建築をつくるのか、つくらないのか。
 
そのことを考え続けて、こんなところに来たんだなあという感慨とともに、これからも、僕はずっとそのことを考えていくことだろうと思います。
 

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