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遠藤
ここまでは若者論をしてしまったんですけれども、本意じゃなかったです。若者が「見られてしまう」ことで苦労している、という感じですね。とりわけアートは名前を出してなんぼ、のところがある。実名が前提ですよね。美大生でも、卒業して最初の展覧会をしよう、となったら実名で、しかもその名前と作品が多くの人に認知される方が良い。そう考えると、実名で社会の中に放り込まれる段階が、圧倒的に早すぎる。美大なんてただでさえまっとうな社会性を教育できないところなのに(笑)。なので、問題が起こって当たり前という環境にある、ということをまず言いたかったんです。だから「最近の若者は…」という話ではない。
本当は、それ以上に言いたいのは、キュレーターという立場にある人間、教育者という立場にある人間が、まったく機能していないことのほうです。最初の話に戻した方がいいですね。鳥肌実問題の所在はARTZONEの「大学側」の担当者にしかなく、丹羽良徳問題の所在もアクアの「大学側」の担当者にしかないと思う。公共性と表現の矛盾を解決するべきは彼ら・彼女らでしかない。アーティストは、若者は、つねにやりたいように、やれる範囲で、一生懸命やるしかないでしょう?それを止める、変える、工夫する、アドバイスする、位相を移す、機能を変換する、別の良いものへと導くなど、技術的に、実践的にすることはいくらでもあったと僕は思う。
ブブ
そう思います。私も最初に言ったように、若者とか若いアーティストというのはアホなんです。私も今よりももっとアホやった。とんでもないことをしてしまうけど、それに価値があるかもしれないという可能性を拠り所に生きているわけやから。それを従順になれというのは非常に愚かなことやと思います。そのとんでもないことをいかに社会化するかというのが、キュレーターの役割ですね。
この間、香港在住のアーティストと話していて、アメリカの現代アートはポリティカルコレクトネスばかりで、いかに政治的に正しいか差別してないかを競う表現ばっかりで面白くないって。私は日本はポリティカルコレクトネスがなさ過ぎて問題なんですと言いました。確かに、当事者性が偏重されてアーティストが黒人でレズビアンでHIVポジティブでシングルマザーやったら最強、みたいな時代もアメリカではあった。その偏重は差別の一形態かもしれないし、当事者にとってはエンパワメントの過程かもしれない。そういうのは通過してみないとわからないんですよね。
遠藤
それは、あって言うのとないで言うのは全然違いますよね、ちゃんとジャンルとしてアメリカでは確立していますよね。
ブブ
これだけ、ある面では近代化された日本が、ポリティカルコレクトネスはほとんど浸透していないというか。やっと出始めたポリティカルコレクトネスも早速攻撃されたり。でも、結局は作品が最終的にいかに面白いか面白くないか、かっこいいかダサいかということの勝負だということも含めて、欧米ではそのせめぎあいは経験されたと思うんですよ。
遠藤
そもそも論として、ブブさんというよくわからん名前のおばちゃんがドラッグクイーンであり、さらにはカウンターをやっているという矛盾やおかしみが読み取られていないですよね。
ブブ
あー。そうですね(笑)。
遠藤
「変な人の言い方きつい」くらいのレベルでしか理解されていない。何故そうなっているんだろう、ってちょっとでも考えたら、いろいろ対話が発生する余地はいくらでもあるのに、そうならないんですよね。
ブブ
きついのかー(笑)。私がヘテロ女性なのにドラァグクイーンをやっているという「矛盾」は確かに追求してほしい所ではあります(笑)。えっと、表現するときに自分の属性をどのように表明するのかって難しいなと思うんですよ。アーティストはそれを操作できるというか、作戦としても使えるというか、もしくは自覚的にならないといけない人たちなのだと思います。
今回のタンブラーだと、バックグラウンドや属性がバラバラな人が集まって作ったところも創造的やったと思っています。文章は出していない人も含めて、最初はほんとにそれぞれの怒りの嵐やったんですよ(笑)。怒りも込みでいっぱい議論して、そして最終的にあのような形になりました。
遠藤
そうですね。若いアーティストもわかる人は勝手にわかるから、ほっておいて、やはり、キュレータや先生方の問題で、そこをどうしていくのか。『わたしの怒りを盗むな』は、そこに作用するような気がします。
山田
私もそう思います。