『表現と倫理の間で』


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河本
『わたしの怒りを盗むな』というタンブラーのタイトルについてもお聞きしたいです。怒りが盗まれるという感じがどうすれば伝わるかなと思っていて、そのあたりのことをもう少し聞かせてもらえますか?
 
ブブ
タンブラーを作った有志メンバーそれぞれでも、このタイトルに込めた意味は異なるかもしれません。私にとっての『わたしの怒りを盗むな』は、マイノリティの怒りを養分にすることでしか生き延びることができない表現行為に対して、です。つまり今回丹羽さんがセックスワーカーを呼んだら世間からの怒りを買うかもしれない、セックスワーカーにも怒られるかもしれない、ということを少しでも期待しているのだったら、そして実際げいまきまきさんは現場で怒りを表明したわけですが、セックスワーカーや元セックスワーカーの怒りを題材にしてアートを生き延びさせたのではないかと思ったんです。
それは「盗む」ことだと。つまりアーティスト自身の怒りではなく、このことで怒っている人がいるという現象を、しかも本人たちにとってはしんどいエネルギーを使う行為を題材にする。自分たちは削られないんですよね。例えば言葉遊びかもしれないですけど、借りることはできると思う。怒りを借りて返すことも。でも盗むということは自分の物にするということです。作品として。
仮に丹羽さんがセックスワーカーの置かれている現状について少しでも怒っていたら、そしてそういうこと表明していたら、ひょっとしたら「借り」かもしれないし、怒りのシェアになるかもしれない。
 
河本
こういうことはよくありそうですね。
 
山田
今回のタイトルに関してもう一言いうと、「怒りを盗むアーティスト」っていますよね。たとえばChim↑Pom。広島の空をピカッっとさせて、被爆者団体がめちゃめちゃ怒るわけですよね。彼らはその怒りを養分として生き延びるわけです。別に彼らの作品が反核運動や反原発運動に何らかのエネルギーを与えたかといえばそんなものは全くない。被爆者の怒りという犠牲はあったのに、利益はChim↑Pomの総取りです。そんなもの良いわけがない。ありがたがっちゃダメですよ。でもそんなChim↑Pomですが、ひとつだけ指摘できる点があるとすれば、広島の空をピカッとさせた時、それが原因で亡くなった人がいたかというとそれはなかったと思う。多分、あの作品で亡くなった人はいないはずです。その意味で、私は彼らの作品は好きではないけれども、自由な表現のひとつとして、社会に存在していてよいものだと思っています。

でも今回は違うんです。もし今回、アーティストによってデリヘル嬢が呼ばれたとしたら、その時、呼ばれたその人に、失業や退学などの現実的な社会的不利益や、命の危険が発生していた可能性があったということです。詳しくはタンブラーのQ&Aを見て頂ければいいと思いますが。それは低い可能性ではないんですよ。
 
ブブ
そこですね。
 
山田
実際に顔バレして死んでしまった人というのは我々のネットワークの中にもいます。顔バレする可能性があるわけです。不特定多数の人がいるギャラリーで、ホームページを見れば。セックスワーカーに興味ある人もない人もとりあえず見るわけですよね。そういう重大な人権侵害があったということはやっぱり問題であったと思います。怒りを養分にするアートはあるとは思います。でも越えてはいけない一線を越えた。
 
ブブ
越えてはいけない一線だったということがわかってもらえなかったことへの絶望もある。
 
山田
げいまきまきさんは説明したけど誰もわかってくれなかったと言っています。
 
ブブ
伝わらなさ、伝わりにくさというのに絶望するというか。自分の非力さや無力感とか徒労感とか、まだ伝わってないかとか。エイズの時代には、差別や無関心さや無理解によって私達の身近な人が実際に命を落としたりもした。だけど、そのことをいうと「声高に」とかね、言われるわけです。マイノリティ最強とか、当事者特権とか、そういった攻撃を受けることで伝えたい人に伝わらなかったりするから、言い方から考えないといけない。
 
山田
こっちは一応考えているつもりなんですけど、なんでもかんでもかみつく人たちに見えているんだと思います。ゲイ男性の自殺念慮は異性愛男性の数倍なんですよね。差別で人は死んでいる。でも去年見た芸大生の作った演劇は結局オチが「ホモネタ」だった。なぜそれがダメかは制作者には言いましたけど、わかってくれたかはわからない。なぜそれがダメかって、人が死ぬからダメなんですよ。在日コリアンも自殺率が高いという研究があるそうです。明らかに差別が原因でたくさんの方が命を落としている。だからそういう問題にはちゃんと発言しないといけないと思っていて、これは重要だ、無視できないという問題のみ、選んで発言しているんだけど、なんでもかんでもかみつく人に見られているみたい。
 
ブブ
気持ちもわかるけど、ほんとに私達が何でもかんでも怒っているのかどうかということは、ちゃんと見てほしいです。
 
山田
気になる表現というのはいろいろあるけど、ほっといていいものはほっとくし、好き嫌いで言ってるわけでもないし。
 
ブブ
そう。好き嫌いで言ってるのではない。
 
山田
デモを逆走しようが、なにしようが、やってもらっていいわけですよ。
でも今回の問題は人が死ぬ可能性があるから、これはダメなんです。
 
ブブ
で、人が死ぬ可能性があるということをリアルに感じれるかどうかを突きつけられていると思うんです。タンブラーのQ&Aにも書きましたが、ばれるってそんなに大変なことなの?というのが一般的な感覚かもしれない。ホームレスでもセックスワーカーでもセクシュアルマイノリティでも、隠していることがばれるということが生死に関わるということを今の時代の最低限の常識として知っていてほしい。
 
山田
まあ、かろうじて人が死なないとしてもですよ、芸大の学生さんでデリヘルやってる人も何人も知っていますが、その人が呼ばれる可能性もあったわけですよ。そしたら、その子たちは大学にいられなくなるかもしれない。
 
ブブ
仕事で顔出ししている人というのは、風俗を使いたい人しかこのHPは見ないという前提で、ぎりぎりリスク込みで、リスクとメリットを天秤にかけてるんです。ドキドキしながらなんです。それを風俗を使いたいわけでもない人たちが、ワークショップという名のもとに市民に公開されると聞かされただけで、絶望するセックスワーカーはいっぱいいるわけです。
 
山田
ちょっと冷や汗が出ますよね、知り合いがいっぱいいるから、わたしなんか。
 
ブブ
っていうことを想像できないですか?という。想像したのかもしれないけれど、その後の行動ですよね。
 
山田
私の知人で実際デリヘルで働いてる人の中には比較的オープンにしている人もいますけど、やっぱりそんなところに呼ばれたら。
 
ブブ
そのオープンというのもいろいろあって、友達には言ってるけど親にはダメ、職場ではダメとか、カミングアウトのラインはとてもデリケートです。私も長い間、セックスワーカーとして発言する時には別の名前を使っていました。
 
山田
今回はデリヘルだったけれども、同志社大学で問題になったみたいに、セクシュアルマイノリティを探してみようみたいなこともあり得るわけです。
 
ブブ
そうそう、ゲイのセックスワーカーを探してみるというのもある。
 
山田
もうそれは大変な問題ですよ。
 
ブブ
でもそういった危機感も丹羽さんにはなかったと思うんですよ。仮に丹羽さんが気付かなくても、藤田さんや加須屋さんは言うべきだったと思います。
 
山田
その場にあれだけの大人がいて、誰も気が付かなかったということですよ。
 
ブブ
しかも一時間も議論していて。それはちょっと文明国としてはありえないんじゃないかな。
 
山田
ちょっとひどいと思ったのでタンブラーをつくったという次第です。
 
遠藤
そもそも何故げいまきまきさんが呼ばれたんですか?
 
山田
実情は、丹羽さんが「デリヘルを呼ぶ」というタイトルをたてて、実際にホームページをみていたと。すると会場の観客から、「実際に呼んだら断られるんじゃない?」とかいわれて、「どうやったら呼べるのか」を聞くために、げいまきまきさんが呼ばれた。
 
ブブ
なぜギャラリーに呼べないのか。デリヘルの受付は、本来のサービス業務以外のところには派遣しません。それはワーカーの側にリスクがあるからです。そういう労働者の安全を守るという極めて基本的なことが理由でそれは不可能なのに、丹羽さんはひょっとしたら客側のプライバシーのリスクや道徳上の問題しか想像できなかったのではないかと思います。でもなんかもやもやするので、そのことを詳しい人に聞きたいということで、急遽、げいまきまきさんが呼ばれたんです。だから、明らかに講師として呼んでいるわけですね。
そこまでのことをもう少し前もって考えて、誰をどうやって呼べばいいか、そもそも何故呼ぶのか、がもっと話し合われるべきだったと思います。
さらに、げいまきまきさんは元セックスワーカということをカミングアウトしていますが、元ワーカーというのもさっき言ったようにカミングアウトのラインは人によっては微妙です。場所によってどの名前を使うかを配慮している元ワーカーも居ます。元ワーカーであったとしても、それがその人のリスクに関わる可能性があるということも全く無視して呼んでいる。
セックスワークに詳しい研究者や活動家を呼んでもよかったわけですよね。なのに、げいまきまきさんが元ワーカーであり、かつアーティストでもあるということに頼ったんだと思います。

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