開催情報
【作家】黒田アキ 藤原康博 中山玲佳 黒川彰宣 中野裕介/パラモデル
【期間】2025年7月26日(土) − 9月28日(日)
【時間】12:00-18:00
【料金】無料
【休館日等】月・火・祝日、8月14日(木)~19日(火) 、8月31日(日)
会場
会場名:MORI YU GALLERY KYOTO
webサイト:http://www.moriyu-gallery.com/index.html?l=jp
アクセス:〒606-8357 京都府京都市左京区聖護院蓮華蔵町4-19
電話番号:075-950-5230
概要
MORI YU GALLERYは7月26日(土) – 9月28日(日)まで、黒田アキ、藤原康博、中山玲佳、黒川彰宣、中野裕介/パラモデルの五作家による「超景曲」を開催いたします。
今回のグループ展のタイトルは「超景曲」。
景曲とは、日本国語大辞典によれば、和歌、連歌、俳諧などで、景色を写生的に、しかも面白く趣向を凝らしてよむこと。
また、そのようによんだもの。「おもては見様を先として、底に面白体を兼ねたらん歌を景曲とは申すべきにこそ」(出典:愚秘抄(1314頃)鵜本)。「景気」が景色そのものやそれを詠み込んだ句や付け方を指すのに対して、「景曲」は景色や風情の面白さや趣向を指し、「景曲体」ともいい、「三五記‐鷺本」では、「定家十体」のうちの面白体に属する一体とするが、挙例の「愚秘抄‐鵜本」の解説の方が妥当である、などとあります。
絵画も、景色を写生し、そこに作家独自の解釈を加えて、新しい景色というものを生み出していく写実とは違ったものがあります。ある作家が、自然にある風景を模して、作家の主観的な想いを画面にのせて風景を描いていくこと、これはごくごく当たり前の話です。ただ、その当たり前のことをしている作家たちのなかでも、独自の解釈をして、景色が「揺れ」、「震え」ているような「景曲」を超えた「超景曲」と言ってもいいような表現をしている作家たちがいます。言葉では捉えきれないものをキャンヴァスにのせるために、独自の心象や意図を織り交ぜて、独特の筆致や描き方によって風景を描いている作家に焦点を当ててみました。
例えば黒田アキは、1960年代から一見文字のような線を使い絵画を描いていました。その独特の線は、微妙に振動し、揺れ動き、そこからある種のかたちが形成されていく。線は次第に縺れ、その縺れが人のカタチfigureになり、また動物のようなものや、また時には山の稜線となり、それがいつしか風景となって立ち現れていく作品もあります。
また例えば、友人の小説家パスカル・キニャールが黒田のために書き下ろしたテキストを黒田がキャンヴァス上に写し、そこに要素を加え描いた絵画作品『世界』があります。黒田によって書かれた文字は、絵画の中で震えだし、いつしか文字ではなく、一つの線となり、キニャールのテキストが黒田の絵画の中に溶け込んでいく時、『世界』はまた別のカタチへと姿を変えていきます。この作品は、世界という景色をキニャールが文字にし、黒田がそれをまた絵に変える瞬間が描かれているとも捉えることができるでしょう。この作品は文字と絵画という境界を「震える線」が繋ぎ、文字と線が綯い交ぜになった一つの例でしょう。60年代初頭からそうした試みを続けてきた黒田は何を意識していたのでしょう。絵画の線と文学を繋ごうとしていたわけではないかもしれません。現実の景色を観て触発され、それを描こうとした時、黒田の思考、脳の振動が対象としての外部の景色とリンクしつつ、手に伝わり、震えながら内部の心象がドッと手から流れ出る。これは景曲を超えた「超景曲」と名付けてもよい黒田独自の手法かもしれません。それによって生み出された宇宙の見取り図こそが黒田が長年試みてきたコンセプトCOSMOGARDENの源といえるでしょう。
1968年に描かれたCOSMOGARDENという作品は「超景曲」という手法によって描かれたものですが、今回55年ぶりにその作品に触発された新作を展示いたします。景色を観て、震えるような線で描きながら、いつしかその線が現実の景色を変え、黒田の心象が顔を出し始めた時、いつしか現実の風景は、心象景色に凌駕され始めるのかもしれません。これこそが「超景曲」の極みといっていいのではないでしょうか。
この黒田の独特の世界に近く、またそれぞれの独自性を持って「超景曲」的な手法で景色を捉える作家たちがいます。藤原康博、中山玲佳、黒川彰宣、中野裕介/パラモデルは、それぞれ独自の景色のアプローチで取り組んでいます。彼らの新作と過去作を交えた展覧を致します。みなさま御高覧ください。