開催情報
【期間】2025年7月4日(金)~ 2025年12月25日(木)
【開館時間】平日:10時—16時 / 土日祝:10時—17時
【休館日等】月曜日(※但し、月曜日が祝祭日及び25日のときは開館、翌日代休。)
【料金】無料
https://www.hbsmuseum.jp/exhibition/index.php?c=exhibition_view&pk=1751941886
会場
会場名:京都佛立ミュージアム
webサイト:www.hbsmuseum.jp
アクセス:京都市上京区御前通一条上ル東竪町110
電話番号:075-288-3344
概要
この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ちつくしていた。 [ジョー・オダネル]
1945年、若き米軍兵士ジョー・オダネルは、ヒロシマ、ナガサキなど焦土の日本を記録しました。非公式に私用カメラで撮った300枚のネガは帰国後、戦争の忌まわしい記憶と一緒にトランクに入れ、封印しました。
「私はあの体験を語り伝えなければならない。」
43年の時を経てトランクを開けさせたのは、彼の平和への願いでした。1990年からアメリカで、ついで1992年から日本各地で彼の写真展は開催され、話題を集めましたが、95年に予定されていたワシントンのスミソニアン博物館での原爆写真展は、アメリカ国内の在郷軍人の圧力でキャンセルされ実現しませんでした。
スミソニアンではついに展示されなかった真実の記録「トランクの中の日本」。
ここにおさめられた写真から約40点を展示。
同時に生きた仏教のミュージアムとして仏教が持つ、戦争と平和に関するアイデアを紹介します。
終戦80年の節目に戦争と平和を考えていただければと思います。
ロシア・ウクライナ戦争をはじめ、イスラエルとハマスの武力衝突、スーダン、イエメン、ミャンマーにおける内戦など、世界各地で戦争のニュースが連日のように報じられています。さらに、各国による軍備の増強や展開、緊張の高まりが続く中、新たな戦火がいつ始まってもおかしくないという不安が拭えません。ここにきて、インドとパキスタンは双方が武力攻撃の応酬を宣言しました。
こうした情勢の中、日本は今年、「終戦」から80年という節目を迎えました。この80年の歩みを支えてきたのは、かつての戦争体験への忌避の念、焼け野原の中で誓われた不戦の決意、そして平和への強い願いではなかったでしょうか。
しかし現在、日本人の平均寿命は男女とも80歳を超え(男性81歳、女性87歳=2023年)、戦後生まれの人々が人口の大多数を占めています(2018年時点で83.6%、2023年には87%)。戦火を直接体験した世代はすでに少数となり、今後その傾向はさらに進んでいくことが確実です。
今、世界のあちこちで“開戦前夜”のような状況が広がるなか、80年もの間「戦後」であり続けてきた日本。これからも「戦後」の時を積み重ねていくために、そして世界を「戦後」へと導く知恵を紡ぐために── いま一度、80年前の記録を紐解き、記憶と決意、そして平和への熱望を次の世代へ伝承していきたいと考えています。
【ジョー・オダネル Joe O’Donnell】
1922年5月、アメリカ・ペンシルバニア州ジョンズタウン生まれ。
1941年6月、ペンシルバニア州ジョンズタウン・ハイスクール卒業後、ジョンズタウン・デイリー・トリビューン社で暗室係として働き、その年の12月にアメリカ合衆国海兵隊に志願する。
1942年2月より従軍カメラマンとして、ボストンのマサチューセッツ工科大学などで現像の技術を学び、フロリダ州ペンサコーラをはじめ、国内で航空写真撮影の訓練を受ける。
1945年9月、占領軍のカメラマンとして広島・長崎その他、空爆による日の都市の被災状況を記録する任務を与えられ、終戦直後の日本へ上陸した。
その後、7ヵ月間、軍の記録写真とするために広島・長崎など焦土と化した日本各地を撮影した。
1946年3月、帰国し除隊。私用カメラで撮影したフィルムを自宅へ持ち帰り、その見るにたえない悲惨な写真をトランクにしまう。
1995年夏にスミソニアン博物館で企画されていた写真展は、アメリカ国内の在郷軍人の声、マスコミの論調などによって中止に追い込まれた。
2007年8月9日、くしくも長崎の原爆投下の日、アメリカのテネシー州ナッシュビルで86歳の生涯を閉じる。同年8月長崎の原水爆禁止世界大会で同写真展が開催される。長崎原爆資料館に「焼き場に立つ少年」の写真が寄贈される。