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梶原靖元展-Longing for A Hidden Paradise-

開催情報

【期間】 2025年3月8日(土)- 3月23日(日)
【開館時間】11:00〜19:00
【休館日等】水曜日・木曜日
【料金】無料
https://www.g-utsuwakan.com/gallery/exbt-20250308

会場

会場名:GALLERY器館
webサイト:https://www.g-utsuwakan.com
アクセス:〒603-8232 京都市北区紫野東野町20-17
電話番号:075-493-4521

概要

 写真のなにやら峨々とした火山岩のようなものは、案内状用に梶原靖元から送られてきたもので”夢遊桃源図”と題されていた。図とあるので少しくケゲンに思ったが、これは李朝世宗の代、十五世紀に活躍した安堅という人の水墨画の画題でもあるらしい。安堅は朝鮮王朝初の女性画員だったとの由。夢遊陶源、桃源に遊ぶを夢みるといった謂いだが、梶原は年来朝鮮半島になじみ深いので、安堅の水墨画を見てインスパイアされたのだろう。盃をちょこんと配してみたが、この岩塊は窯の窯体の一部である。膨張と収縮の繰り返しのなかでボトリと落ちてきたという。内壁だが割木灰の熔融による釉の付着が見られないのは、毎回彼が窯内部をドベで左官するかららしい。毎回窯を更新するわけである。大変な作業だろうと思う。
 桃源郷という言葉は、中国の詩人陶淵明に由来する。四世紀から五世紀初頭の古い昔の人である。六朝期で軍閥が相争う時代だった。李白杜甫以前の代表的な詩人である。その陶淵明の”桃花源記”という散文調の韻文で書かれた話から出た言葉である。梶原のいう安堅の水墨画もこれを脚本のように下敷きにしている。
 お話変わって、陶淵明は桃花源記などの抒情詩でも有名だが、筆者には”帰去来ノ辞”というもう一篇の名文が思い出される。”帰りなんいざ”で始まるあの詩である。一部を無茶訳すれば…
「もう帰ろう故郷へ/田園は荒れてしまった/帰らずにおられようか/浮世の渡世に心をすり減らしたおのれがいる/しかしそれをうらみ嘆いてみてもはじまらぬ/すんでしまったことだ/さきのことを考えてみる/見あやまり道に迷うたがさして遠くは来ていない/この今が本当で昨日までがまちがっていたのだ/舟はおだやかにゆらゆらと波間に浮き/風はハタハタとわが衣をひるがえす/連客にあとどれほどかと問う/夜明けまえのうす暗さがもどかしい」
 これを挫折と悔悟の詩とも読めるかもしれない。陶淵明は文官や武官になったりやめたりを繰り返したそうである。帰去来ノ辞の序には、ある地方の県知事を八十余日でやめたときの言い訳めいたくだりがある。どうしても宮仕えになじめぬ性分だったのだろう。酒徒でもあった。詩書画の教養あるすぐれた詩人に宮仕えがつとまるわけがない。要するに芸術の人だったのである。帰去来ノ辞は、故郷への愛惜と、それを支えにおのれの再生を期し、精神的自由を守り抜こうとする詩人の気骨といったものも窺えるのである。帰りなんいざ桃源郷へなのである。
 梶原になにか身辺雑記でもとお願いしたら次の短文を送ってくださった。
「還暦もとうに過ぎ、腰をじっくり据え、完成度の高きを目指さねばと心の片隅に置きながらも、信楽の土や、備前、志野の原料に目を遣ってしまうとは愚かな。私はいてもたってもおれず。結局宙ぶらりんのままを楽しんでしまいます。先ずは私の性分を叩き直さなければ…と。」
 三題話ではないが、桃源郷から帰去来ノ辞へ、そして梶原の心情の吐露のような短文といった次第になってしまった。作家、もの生す人には不安やあせりがつきまとう。じっとしていられないような、そういった蟻走感というか、あるいは訳もわからぬ不足感にさいなまれるものなのではないか。しかしそれは仕方がないというより、作家ならそうあらねばならないということも言えるのではないか。帰去来ノ辞も梶原の文も、双方とも再生と発心と、浄化への予感の詩(うた)だと思われるのである。
 彼の文中、信楽備前志野とありますが、それ風のものが出るようです。梶原靖元オリジナル無二の翻案が見られることと存じます。また煎茶道にまつわる道具も出展の予定です。何卒のご清賞を伏してお願い申上げます。-葎-

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