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料金表が存在しないところに料金を発生させる。

伊藤洋志



ニューアーティストとニューパトロンに求められているのは、料金表に載ってない仕事も頼んでみて、なんとかやってしまえる、そして、通常のマーケットでは手に入らない新しい価値を手に入れることができて、楽しい、という世相を生み出すことである。これは、買い物に対する革新行為である。

多くの人類が狩りをしなくなって久しい。しかし、狩猟採集に最適化された人類にとって狩猟行為を欠いた生活にはいくらかの物足りなさが残る。狩猟が生活から失われても残っていたのは採集行為、山菜採り、ベリー摘み、キノコ狩りなどだが、こちらも減少傾向である。そこで現れてきた代替行為が、買い物なのである。これの兄弟がビジネスである。

人が買い物をやめられないのは、それがすなわち、人間の根源的欲求の狩猟採集行為に等しい行為からだ。自然界のようなノイズの海の中から自分の糧になる秩序の塊(明確な有用性を持った獲物)を見つけ出し捕獲する。これを欠いて充実した生活はない。買い物は現代における狩猟行為であり、買う対象だけが大事なのではなく「買う」行為自体も目的なのである。

しかし!現代では二つの問題が立ちはだかる。一つ、充実した達成感を得られる獲物が減っている。二つ、買うのはいいが置く場所がない、家がモノのダム化としている。明らかに許容量を超えるモノが世の中に溢れている。
この合わせ技が、ゴミ屋敷を生み出し、断捨離と消費社会のマッチポンプを繰り返す要因となっている。現在もっとも手強いゴミは核のゴミ、ついで高密度シリコンの太陽光パネルのゴミ。焼却炉が頑張って燃やせば済むというレベルを突破し、人類の知恵を合わせても処理方法が見出せない。地球に埋めるぐらいしかアイデアが出てこないが、それにしても10万年単位の無害化期間が必要だ。しかし、最終処分場には石板にドクロマークを書いて警告にしておくぐらいしか、未来の人類に対する伝達方法がない。なかなか示唆的な作品になりそうな話だが、もはやフィクションよりも現実が先行しつつある。流石にこれはやりすぎだ。
とはいえ、電気依存を辞めるのは簡単ではない。最近、物理学者による経済研究で明らかになったのは、経済成長は電力消費量と連動するという事実である。つまり、これまで通りの経済システムで行こうとすると省エネはしつつも電力消費量をいかに増やすかというところに腐心せざるを得ない。オンラインのソーシャルゲームでのアイテムの売り買い経済など、物質から脱却しつつある買い物行為も出てきてはいるが、それでも電気消費量は増え、最終的には核のゴミあるいは太陽光パネルのゴミに行きつく。
考えてみたら当たり前の話なのだが、理由の一つは、現在の経済成長の原則は、「スケールする」ということに重きが置かれているからである。各種のビジネスにとっては一定の成功パターンに沿って、それを拡大して行くというのが一つの山場である。身近な例で言えば「いきなりステーキ」が仕組みとしてヒットすれば、どんどん店舗を増やす、そこからがボーナスステージである。ここまでいかないとビジネスは苦労が多く旨味がない。そしてそれは力も持ち、高品質なサービスを多くの人に提供できるという社会的な善でもある。これはこれで悪くないのだが、これだけに依存すると、先ほどの述べたような電力消費量をひたすら増やしていく、という方向性だけになってしまう。その中で、人間の思考と実践から生まれた足で描いた絵画(「激動する赤」白髪一雄 1969年、油彩、キャンバス、183×229cm 落札価格 530万米ドル((5億4,590万円)))が5億円もの価格になるのは一つの希望である。ここには電気がごくわずかしか使われていない。
現状、注目すべき国の一つはインドである。人力でやる仕事もかなり残しつつ近代化が図られており、料金表がない部分が残されている。いちいち価格交渉しないと物事が進まない。これは旅行者には面倒臭いが、一つの可能性がある。UBERのようなシステムでは、自然状態にして放置すると最低ラインまで個々人の報酬が低下するようにマーケットメカニズムが働くので、個々人の収支はカツカツになる。こうなれば薄利多売しかない。つまり規模の経済に頼るしかない(主にUBERが。そして個人はギリギリの収支で困窮する)。インドの人口はすでに13億人を突破し、2100年には15億人に達すると予想されている(※1)。どのようにインド社会が推移していくかは人類にとって重要な要素である。なにしろ2100年になれば世界人口の22.7%が1位のインドと2位の中国で占められると予想されているのである。
そこで、必要になってくるのが、料金表がないところに仕事を発生させるという一見非効率なアクションである。通常の「スケールする」ことを前提で生み出され洗練を極めたサービスには全て料金表があり、相場観が形成されている。しかし、洗練された料金表を持つ世界では、個々人の買い物に対する想像力が低下しており、料金表がないものは入手できない、諦めるしかないという状況になりつつある。もはや諦めていることすら自覚できないことも多い。身近な例で言えば床一つとっても、専門業者に頼むしか方法がない、と思い込んでしまい、自分で床が張れるという発想すら浮かばない。結果、無垢材の床板は使われない賃貸住宅に住むことが当然になってしまう。そこでは汚れないからいいと場合によってはビニールシートになってしまう。それが選択肢の一つではなく当たり前になってしまうことは実につまらないことである。これは、先に挙げた現代の買い物の問題点の一つ、充実した達成感が得られない買い物が増えているという一例である。

これではいけない。

ではどうするか。逆に言えば、自分たちで新たな料金表をつくればいいのである。実際、個人の仕事の形をつくることを研究対象にしている私も、料金表をつくることに注力しているが、料金表が人の想像力を奪わない程度の広がりにとどめている。私は床張り講座を一つの仕事にしているが、別に私に頼まなくても、やる気があれば各人が自主的に企画できる。そのような選択肢を考える想像力を奪わないようにしなければならない。それには、料金表がないところに料金を発生させるというアクションをお客さんも常に視野に入れる必要がある。もちろん、これは既存の洗練された料金表の世界と並行しうる。

美術作品は、量産できないところに価値がある。それほど多くない生産量のiPhoneXの生産台数が二千万台で、かつ売れれば売れるだけ生産台数は増やすのに対して、美術作品は量産できてもせいぜい百点程度の複製画である(映画は別)。スケールすることを必要としない。もちろん、ギャラリーに所属することが就職活動のようになったり、システムに組み込まれすぎると、個々人の自由意志で価値を決定できるという良さが失われ、マーケットの奴隷との批判にさらされるので、アートマーケット依存にならない生活基盤が作家側にも必要であり、ここでのニューアーティストは、そのような生活基盤を持ちつつ作品を世に提出し続けられる存在だろう。いずれにしても美術制作の活動は、成長のために電力を使いまくる余地が小さいということは変わらないし、そのような方向を向いているかどうかという軸で見て行くといいかもしれない。近代産業的な仕組みではどうしても成長のためにスケールを大きくしていくしかない。350メートルの木造ビルを建てる、とかどうしてもそういう「規模のビジョン」しか出てこない。

ここで求めたいことは、お客さんの側も料金表がないところに料金を発生させるアクションである。ニューパトロンたる人は、料金表というパターンから外れるような行為の専門家であるアーティストに対する様々な投げかけを行う。
「ちょっと聞いていい、こういうのってできる?探してみたけど、そうじゃないんやけどってところしか見つからんのや」「それならこないしたら面白いんちゃいますかね、30万円ぐらいでできますよ」という会話が日常的に行われるようになることを期待している。

※1 国連経済社会局の発表による https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM21H5H_R20C17A6FF2000/

伊藤 洋志(いとう ひろし)
仕事づくりレーベル「ナリワイ」代表。 1979年生まれ。香川県丸亀市出身。京都大学農学部森林科学専攻修士課程修了。やればやるほど技が身に付き、頭と体が丈夫になる仕事をナリワイと定義し、次世代の自営業の実践と研究に取り組む。 シェアアトリエや空き家の改修運営や「モンゴル武者修行」、「熊野暮らし方デザインスクール」「遊撃農家」などのナリワイの制作実践に加え、野良着メーカーSAGYOのディレクターや「全国床張り協会」といった、ナリワイのギルド的団体運営等の活動も行う。ほか、廃材による装飾チーム「スクラップ装飾社」メンバー、「働く人のための現代アートの買い方勉強会」の共同主催も務める。 著作『ナリワイをつくる』(東京書籍)は 韓国でも翻訳出版された。ほか『小商いのはじめかた』『フルサトをつくる』(ともに東京書籍)。

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