東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)

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橋本聡

・「経済原理」見出し

・「経済原理」端書き

・「経済原理」パンフレット的に(「荒野」)

「経済原理」見出し
(HAPS『ニューパトロン、ニューアーティスト』へ寄せて、2018)

 

・「通貨 vs 仮想通貨」 vs アブストラクト通貨

・アブストラクトオーディエンス

・ニューパトロン
鑑賞や参加、また助成や支援との決別としての「ニューパトロン」

・アナリスト、アナーキスト、アーティスト、アラブ、アブストラクト、アクト

・暮らし
1:あなたの住処にアーティストの住処が暮す
2:アーティストの住処にあなたの住処が暮す
3:2の発展としてのコミューン
4:住処なき活動、ホームレスとしての活動に暮す
5:4の発展としてのストリートないし、アンダーグラウンド

・売買と盗みの先
店では商品が陳列され、客が商品を購入します。時に、商品は盗まれます。その商品の陳列の展開の先に展覧会があります。そして売買と盗みの展開の先として展覧会はあります。

・ショップ
そこから折り返された、新たな店が経営されます。

・飲食店の経営
なぜ、魚を食べても魚に近づかず、植物を食べても植物に近づかないのでしょう。言葉が時折、精神に大きな浸透と変容をもたらすように、飲食において、そのような浸透と変容をもたらす飲食店の経営。口から言葉が発っせられるとは逆に、言葉を口へ落とし込むような飲食です。飲食は殺しを伴うので、その言葉は殺しを巡って語ります。

・地球や太陽の支配
人々の活動は太陽や地球に支配されています。体温も目も太陽光に屈し、振舞いは地球の重力に縛られ、時間は地球の自転に宿命付けられます。NASAなどの宇宙事業の目的の一端はこの支配からの脱出です。宇宙事業ないし科学がフィジカルな力によって逃れようとするのに対し、たとえば「アート」は不服従によって逃れます。それは暴力/非暴力のような対比です。ですが、非暴力にも、不服従にもフィジカルは伴います。

・ペンキ屋の経営
白いペンキを持つ手を広げる欲求は雪が、黒いペンキの欲求は夜が、赤いペンキの欲求は夕日や流血が、幾ばくか紛らわしてくれます。ですので、このペンキ屋は塗料ではなく、夕日、流血、雪、夜を扱います。

・デモと地下鉄
デモをおこないます。でも、それは何かを変えるため以上に、デモ自体の中に。地下鉄に乗ります。それは何処かへ移動するため以上に、その中に。そして、デモの帰りに地下鉄に乗ります。

・ホームレス

・私達なしの世界、ではなく、世界なしの私達 
私達は世界から弾かれるでも、世界へ参与するのでもなく、私達から世界をなくします。

・欺瞞、詐欺

・死、暗殺
「生と死」といった設定は便宜的なものとしてあります。便宜をなくせば、誰も生まれたことはありません。誰もが元々死んでいます。ここでの暗殺とはフィジカルなものではなく、その「生と死」の便宜に対してのものです。

・あたらしいお休み
ニューアーティストは、労働や生活、社会的活動全般の裏、たとえば「お休み」を探求します。それは休息、睡眠、死などとは異なる「お休み」です。仕事を脱ぎ、活動を脱ぎ、生活を脱ぎ、生死を脱ぎ、お休みしましょう。
 
 

「経済原理」端書き
(HAPS『ニューパトロン、ニューアーティスト』へ寄せて、2018)

 
 
たとえば、あなたが手に持つそのスマフォは誰のものでしょう。 スマフォを誰かに貸すとき、手に握る者と、手放した者のどちらの方が所有してると言えるのか。路上で眺めていたスマフォが奪い去られたとき、それは誰のものになるのでしょう。紙幣は所有歴が記されることなく、人々を渡り歩きますが、スマフォには、多くのあなたの情報が記され、あなたとそのスマフォの結びつきを証拠づけようとします。だからと言って、なぜそれはあなたのものなのでしょうか。

お金を渡せば食料も衣服も土地も所有することができ、賃金を払えば労働力を購入することができると。ではお金以外ではどのようにして所有者になることができるのでしょうか。食料なら栽培するか、狩りをするか、人工物なら自ら作るかでしょうか。しかしその材料や土地は既に誰かのものとなるでしょうし、法的所有者がいないとしても何かから奪わざるをえません。その肉や果実はどのような経緯で手に渡り、その土地はどのような経緯で占拠されるのか。暴力によってか、権力または権利によってか、貨幣によってか、贈与によってか。店で食料を奪い、胃に入れる。それは誰のものなのでしょうか。

いま立っているその場は、法的所有者でも政府でもなく、金銭を介してなり不法なりであっても、その時そこに居るものが占拠しています。ものも、場も、所有は既定的ではありません。あるいは所有というのは方便であり、流動的な占拠しかないとも言えるでしょう。

場(建築物)が行為を可能にするのではなく、行為がその都度、場をつくりだします。場は不動ではなく漂流します。楔を深く打ち込み、コンクリやら制度によって四方を囲い込むようなものは、空間を監禁し腐らせる、でっち上げの場と言えるでしょう。それは防腐剤やポリスにまみれています。

あなたがもし、住居を所有するならば、それは誰かから奪ったものではないでしょうか。鞄の中だけでなく、あなたが色々と衣服をまとい隠すものは何でしょう。あなたがもし、眼でも口でも足でも、2つ持つならば、あるいはひとつでも持つならば、それは誰かから奪ったものではないでしょうか。あなたがもしも「あなた」として既定的であるならば、楔を深く打ち込み、四方を囲い込むようなでっち上げのあなた(場)としてあるのではないでしょうか。
 
 

「経済原理」パンフレット的に(「荒野」)
(HAPS『ニューパトロン、ニューアーティスト』へ寄せて、2018)

 
 
・作品

たとえば、売買や所有の対象ではなく貨幣に対するオルタナティブとして、ここでの「作品」はあります。 しかしながら、円の代わりにドルやユーロ、あるいはビットコインを求め、投資の対象として株や不動産を求める、こういった延長で作品を扱うのでは、そのパフォーマンスは現れません。生産、分配、交換、投資、労働、搾取、売買、貯蓄、消費、散財、詐欺、非営利、助成、寄付 … などとは異なる経済の在り方として、あるいは経済の解体として、ここでの作品はあります。

・アーティスト

アーティストとはなにか。アーティストという言葉は都合のよい方便や幻想としてあります。しかしながら、その言葉やカテゴライズの方便さに向き合うことがひとつの傾向と言えるかもしれません。その方便さのそれなりの歳月においてアートは拡張を繰返し、アーティストの神話化もアートの神話化も弱められ、昨今、たとえば公共性や社会性と強くコミットメントするものが隆盛しています。大きいアートから小さいアートへの移行において、小さきアートを抱えつつ、公共性や社会性が大きく代替するような状況です。しかしながら、ここでの在り様は、小さいアートを抱えるのではなく「アートなしのアーティスト」としてあります。それはアーティストとアートの癒着を断ち、さらに公共性や社会性、生活、世界との癒着も断ちます。それは逃避でも脱構築でもありません。政治、公共性、社会全般、生活、世界、それらが悪しきにしろ良きにしろに関わらず、それらを批判し、解体する在り方と言えるかもしれません。探求されるのは、新しい建築物よりも、解体によって現れる荒野です。

・消費者、鑑賞者、参加者、パトロン

アーティストが世界各地に滞在し、制作をするアーティスト・イン・レジデンスは20世紀後半において充実しました。ここでは反対にアーティスト(の棲まい、活動)自体に人々が滞在するプログラムとして「レジデンス・イン・アーティスト」という言葉を掲げ推進します。アーティストは非営利活動をします。ですので経済的に困窮する者が多数です。そこで求められるのは、あなたの経済がアーティストの経済を支援するのではなく、あなたの経済がアーティストの経済に蝕まれ、ときに共に破綻することです。それはポストパブリックとしての新しいアンダーグラウンドの設計です。そこではアーティストだけでなく、消費者、鑑賞者、参加者、パトロンなどといった類いもが破綻します。

・パブリック、アンダーグラウンド、プライベート

個人(プライベート )の活動がアンダーグラウンド、オルタナティブへ展開し、それらが公共性へと押し上げられるのが20世紀における大きなストリームでありました。押し上げられ、拡張を繰り返し、パブリックの領域には膨大なものが抱え込まれています。ここで推進されるべきは一層の拡張へと向かうベクトルではなく、反対ないし新たなベクトルとして、パブリックの領域からアンダーグラウンドへ、プライベートへと引き下げること、奪い返すことです。

プライベート → アンダーグラウンド、オルタナティブ → パブリック // → ニューアンダーグラウンド → ニュープライベート

社会や公共性へ向けられる既存のベクトルとしての「発表」と対比し、ここでのベクトルの在り方を『発裏』と呼びます。一極集中のベクトルから、拡散のベクトルへ。パブリックないし「表」といったある種の全体主義への切断、解体として『発裏』はあります。
 
 

橋本聡(はしもと さとし)

1977年生まれ。主な発表に「行けない、来てください」(ARCUS, 茨城, 2010)、「偽名」(「14の夕べ」東京国立近代美術館, 東京, 2012)、「私はレオナルド・ダ・ヴィンチでした。魂を売ります。天国を売ります。」(青山目黒, 東京, 2013)、「国家、骰子、指示、」(Daiwa Foundation, ロンドン, 2014)、「MOTアニュアル キセイノセイキ」(東京都現代美術館, 2016)、「全てと他」(LISTE, バーゼル, 2016)、「Fw: 国外(日本 – マレーシア)」(国際空港, 飛行機, マレーシアなど, 2016)、「世界三大丸いもの:太陽、月、目」(青山目黒, 2017)、「Night - Time = Darkness」(Hans & Fritz Contemporary, バルセロナ, 2018)など。ほか、An Art User Conference、基礎芸術|Contemporary Art Think-tankなどのグループでの活動を行っている。

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