「クール・ジャパン」のその後と表現:高嶺格インタビュー
Tadasu Takamine Interview

6 作品づくりに必須の技術

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「高嶺格のクールジャパン」制作風景 撮影:松本美枝子 写真提供:水戸芸術館現代美術センター
 
—ベルリンでのレジデンスはどういういきさつで決まったのですか?(*3)
 
DAADというのは「ドイツ学術交流アカデミー」というドイツ政府の機関なんですが、そこからの招聘です。
 
—ベルリンでのレジデンス滞在に期待することってあります?
 
たくさんありますよ。でもまずはベルリンという街を吸収したい。
 
—ここ数年、展示続きだった印象があります。
 
うん、この数年は放出し続けてましたから。それと、秋田で僕はメインではパフォーマンスの授業を担当する事になっているんです。これまで自己流でやっていたけど、作品はそれで作れても、人に教えるとなったら全く別の話やから、そういうことを勉強したいなというのもあります。
 
—教育者としてのスキルアップも兼ねてのレジデンス滞在ということですね。ところで、高嶺さんは、よく作品のクオリティということについて発言をなさっていますが、それを担保にしているのは、もちろん技術的なことやと思うんですが、その点についてお聞きしたいです。高嶺さんのおっしゃる作品におけるクオリティってどういうことなのかということも含めてですが。
 
それは、やっぱり漆で培ったものです(笑)。
 
—なるほど、高嶺さんは漆工専攻でしたね。他に、たとえば、生来の性格的なことも原因としてありますか?
 
なんか、人に非常に説明しにくい部分なんやけど、作品には、ほったらかしにしてたほうがいい部分と、かっちりとシビアにつくらなくてはいけない部分というのがあるんです。ここを押さえることによって、こっちはほったらかしにできるとか、ここはほったらかしにしたいので、その前の部分でカチっと見せるとか。
 
—乱暴に括ってしまって恐縮ですが、カンどころみたいな話しですか?
 
最終的なサジ加減というのは勘としか言いようがないかもしれないですね。でも表現というのは多かれ少なかれ「意識操作」に関わることだから。ゲーム性ということかな、軽く聞こえるかもしれないけど。見た人の意識を操作するための技術って、決定的に重要だと思う。
 
—質問を変えて、たとえば、その技術は現在の美術大学の教育制度の中で培われるものですか?
 
それはいい質問ですね。でも「ゲーム性」ということで言えば、それはある程度訓練で習得できると思う。コンセプトに対して、どういうアウトプットが有効かということ。僕は若いころ、コンセプチュアルな作品に対しての懐疑が長いことありました。言いたいことはわかるんだけど、それが実際、誰にどう働くのかについて考えてない作品。または、その大きな枠組みのことはギャラリストや評論家に丸投げしてる人。もちろんターゲットを持たない作品だってあるんだけど、それも含めて作品というのは「立ち位置と共に」存在すべきと思っているので。
作品がどう受容されるかって、その時代時代の局面で変化するわけでしょ。だったらそこのアンテナこそが重要で、ほったらかしにしていい部分はどこで、作り込まないといけない部分はどこなのかということには、個々のアンテナがそのまま反映されるんで、そのアンテナは高ければ高いほどいいと思うんです。アンテナを伸ばしていく作業というのは、訓練というか、気構えでけっこう鍛えられると思う。

僕の場合は、舞台の経験が大きいかもしれないですね。
舞台はいろんな人の集中力を必要とするし、なんといっても時間芸術ですから、時間に沿って人の意識を操作するということがどうしても入ってくる。
マッサージでいうとフルボディマッサージをするみたいな、足から始めて、あー気持ちいい、痛い痛い、気持ちいい、痛い痛い、と、それが積み重なって初めて全体的な体験となるみたいなことです。
 
—それって人間が、生涯をかけて経験していくようなことをきゅっと圧縮したものみたいですね。
 
まあ、そんなこともできたらいいですね
舞台でも美術作品でも、それを鑑賞した後に、あ、新しい人間になっている気がするという経験になれば、それは作る側からしたら夢のような話ですよね。
 
—そんな作品を作るためにも、高嶺さんが美術家としてやってこられて、この技術だけは絶対身につけたほうがいいよ、欠かせないと、伝えたい技術はありますか?
 
あー、(しばらく沈黙)

恋は、したほうがいいでしょうねぇ。煮えたぎる恋というやつですね。
大事です。あの悶々とした感じというのは(笑)。
寝てもさめてもそればっかり考えてて、それとどうつきあっていくかみたいな、オートマチックに起こる感情というのは、自分でコントロールができないじゃないですか?恋は、試練ですよね。
 
—ある日突然ですね、今はどうですか?
 
恋ですか?どうやったかなぁ…(笑)。
 
—…どうもありがとうございました。
 
(*1)イーデン・コーキル(ジャパン・タイムズ記者)
(*2)2013年度新設の秋田公立美術大学に准教授として着任
(*3)2013年は約1年間ベルリンに滞在、日本と往復しながら作品製作と大学での教育に携わる予定


○プロフィール

高嶺 格(たかみね ただす)
1968年鹿児島県生まれ、美術家、演出家。京都市立芸術大学工芸科漆工専攻を卒業後、岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー (IAMAS) 修了。1990年代初頭よりダムタイプの活動に参加、その後も、パフォーマンス、ビデオ、インスタレーション、舞台演出など多様な表現手法を用いて国内外で多数の作品を発表中。著作『在日の恋人』(2008年 河出書房新社)他。HP: takaminet.com

インタビュー&写真撮影(表紙写真)
河本 順子(かわもと じゅんこ)
京都市在住。会社員。台所大学picasom参加(2010年- ),市民のための「政治」ワークショップ(2011年), グルジア椅子ワークショップ(2012年),ベーシックインカムと表現:山森亮インタビュー(2013年)

2013.11.03

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