「クール・ジャパン」のその後と表現:高嶺格インタビュー
Tadasu Takamine Interview

3 震災以降の日本と日本人

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ジャパン・シンドロームの部屋 「高嶺格のクールジャパン」2012-2013年 水戸芸術館現代美術ギャラリーでの展示風景  撮影:細川葉子 写真提供:水戸芸術館現代美術センター
 
—高嶺さんは震災以降の日本に関しては、どんな風に感じておられますか?
例えば、もう嫌や、うんざりやとか、思ったりされているのかなと。

 
嫌というよりは、わからんなと思うんですよね。これだけ東電とか政府のごまかしが暴露されて、皆、けしからんと思った。ところが、喉元過ぎれば前とあまり変わらん、結局、前の体制のままでええか、みたいなムードがあったりして。一旦「許せん」と思ったことに対してどういう感情を持ち続けるかということかなと思うんだけど。
 
—「許せん」と思った人間に対してどういう感情を持ち続けるか、というのは?
 
感情…感情を持ち続けるのって難しいのかな。なら理性ということかもしれないけど、ほとんど殺人に近い罪を犯してきた人間が、裁かれずのうのうと生きている事実をどうするか。前のことはスルッて忘れてしまってまたもや責任の所在がうやむやになる。それで逃げ切れると思ってる人たちと忘れてしまう人たちという構図。なんなんだこれは、っていう。
 
—確かに、そうですね。
ただ、自分もそれに加担しているからあんまり強く言えへん、言う資格がないと思っている人が多いのかなという気がします。
高嶺さんの水戸の展示で『ガマンの部屋』という部屋がありましたよね。部屋に入ると「我慢しなさい」という声が途切れることなく聞こえてきていたたまれなくなる部屋でした。現在でも、ああいうごまかし方をしないとやっていけない、生きていけない現実が実際にあって、一方に原発を支えている構造とか仕組みみたいなものがあり、その二つの問題がつながるためにはどうやったらいいのか?その方法を私たちはきちんと教えられてこなかったし、考えてこなかったのかなと最近思っています。

 
うーん、どうしたらいいかなと思いますけれどもね…(しばらく沈黙)

なんかね、水戸展のカタログでオーストラリア人のライター(*1)にエッセイを書いてもらってて、これがシンプルなんだけど意外にハッとさせられたんです。彼は来日して十数年になる人で、何故オーストラリアを出たのかというと、オーストラリアにいると例えば日常的に買い物に行くだけでもオーガニックのものはないのかとか、これはフェアトレードで仕入れたものかとか、いちいち確認したり、お互いの哲学とか、考えとかを根堀り葉堀り聞いて、議論をするというのが普通のことらしい。

何事においても政治的な立場をいちいち表明しないといけないというこのオーストラリアの風潮を、彼はある種うざったく感じていて、逃げるように日本に来た。で、日本に来たときにそこから解放された気がしたと。日本では、相手の気持ちを思いやって、相手が嫌だと思うことはまず話題にしない。彼はそういう「軽い」カルチャーをエンジョイしていたんだと。

ところが原発事故以降に、それがどういうことだったのかをつくづく考えさせられたと。彼は、原発事故後、大きなムーブメントがあって、日本はガラっと変わるだろうとあたりまえに期待したらしい。しかしそうはならなかった。そうならないのは何故かということについて悶々と悩んで、自分が居心地がいいと感じエンジョイしていた日本文化の弱さをそこに見たと。今はそうした日本社会のあり方について大きな疑問を感じていると書いています。
 
—それは、どうしたらいいんでしょうか。教育の問題なんでしょうか。
 
ねえ…(しばらく沈黙)
なんかこう、「生き方」みたいな話になること自体、「うざい」と思う雰囲気ってあるもんね?
 
—そうですね、それこそ、水戸での展示映像『ジャパン・シンドローム』みたいに、「これ、どこ産の野菜ですか?」みたいなことを聞くのは憚られる雰囲気はありますね。
 
うん、あれは「うざい」と思われる典型的な質問ですよね。
たとえば、学校給食について「どこ産の野菜を使ってますか?」と問い合わせの電話をすることに対しても、抗議があったりするらしい。それは 「あつかましい」行動だから。「お上の決定に素直に従わない=調和を乱す反分子」っていう考え方はいまだに日本社会に根強く染み付いていると思う。政策の内容を理解してよりよくしていこうという態度よりも、上下関係を守っていきたいという態度の方が優位にある。これが形を変えて「みんなが我慢しているのに我慢できないのはあんた個人の問題や」っていうことになっているんだと思う。

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