美術表現に関わる近時の国内規制事例10選(1994-2013)
10 recent cases of restricted artistic expression in Japan [1994-2013]

D 企業の抗議および企業への配慮

国連人権高等弁務官事務所のウェブサイトには2013年から「芸術の自由」を専門に扱うコーナーが設けられている(http://www.ohchr.org/EN/Issues/CulturalRights/Pages/ArtisticFreedom.aspx )。

このサイトにも掲げられているNadia Plesner作品(裸で痩せた黒人の子供が、ハリウッドセレブよろしく、村上隆コラボモデルのヴィトンのバッグとチワワを抱いて虚ろな目をした姿を描いたペインティング作品)は、ルイ・ヴィトンに訴えられ、最終的には勝訴した作品である。

ルイ・ヴィトンはこの作品の展示や作家ウェブサイトへの掲載に対して、高額の損害賠償を求める訴訟を起こした。一審で作家が敗訴し、それ以上展示を続けた場合、作家に対して1日あたり日本円にして約50万円の追加賠償が累積していくことが裁判所で認められた。しかし、このことが一種の「スラップ(いやがらせ)訴訟」としてルイ・ヴィトンは幅広い批判を受け、作家を支援する声も広がった。作家が美術館で展示し続けながら上訴したところ、二審で作家の表現の自由が認められて作家が逆転勝訴した。
この経緯によって、皮肉なことにそれまで全く無名の作家の作品に過ぎなかったNadia Plesnerの当該作品は、企業からの芸術家への圧力と、それに屈しなかった芸術家のシンボルとなってしまった。

 

【事例7】「バッタもん」展示中撤去(2010.5)

神戸市立神戸ファッション美術館(指定管理者:神戸市産業振興財団)で2010年4月から7月にかけて開催された企画展「ファッション奇譚」会期中の作品撤去事件。この展覧会は実質的に、美術家・岡本光博と担当学芸員との共同企画展で、ファッション業界・アカデミズムを批判的に回顧する内容であった。展示された展示物には、同館の所蔵品および複数の美術家の美術作品、大学等からの借用作品が含まれる。岡本はこの展覧会に向けてルイ・ヴィトンやコーチ、シャネル等を含む複数の有名ブランドの柄の生地で9体のバッタ型オブジェ「バッタもん」シリーズを制作し、展示した。ブランドからの抗議も予想し、それぞれのバッタを仕切られた展示ケースにすることで、抗議が来たブランドの生地について順次覆いをかけていき、抗議が来たことを示すという手筈も整えていた。

しかし5月6日にルイ・ヴィトンから「この“自称アーティスト”によるオブジェの展示は、偽ブランド品を肯定する反社会的行為である」といった趣旨の抗議を含む、作品の撤去とウェブサイトからの削除を要請する文章が届き、美術家と担当学芸員が協議を約束していたにも関わらず、7日には市から管財課の複数の職員が同館を訪れ、担当学芸員がギャラリーツアーを行っている間にこの職員らが撤去を指示。ルイ・ヴィトン以外も含めて9体全てのバッタ型オブジェが会場から撤去された。同館の指定管理者である神戸市産業振興財団は、芸術家やキュレーターの意見を聞かなかっただけではなく、既に印刷・販売していた展覧会のカタログ的位置づけの小冊子をミュージアムショップから引き揚げ、すべて廃棄。さらに、この展覧会のPRのために全国の文化施設に送っていた大判のポスター(中心にはこのバッタの写真が配されていた)も全て撤去するように依頼し、会期中にも関わらずバッタを消した新しいポスターを印刷して、もう一度全国に新しいポスターを送付した。

財団も神戸市も正式なコメントはしていないが、ファッション産業の振興を目標に掲げる神戸市とその外郭財団として、ルイ・ヴィトンに特別の配慮をした可能性がある。


【参照】

都築響一ブログ1「まぼろしのバッタもん」http://roadsidediaries.blogspot.jp/2010/06/blog-post_1882.html

都築響一ブログ2「LV式現代美術・その後」http://roadsidediaries.blogspot.jp/2010/06/lv.html

毎日新聞 2010年10月21日 東京朝刊「バッタもん:ブランド模様入り美術作品巡り議論-来月大阪に再登場」 (archive.org保存)

朝日新聞

http://www.asahi.com/fashion/article/TKY201010040112.html

ほか、作家のサイト内のページに多数挙げられている。 http://okamotomitsuhiro.com/sab/Reference/REF.htm

【関連事例】

「木彫りヴィトン」修正要求(2007.1) 美術家のタノタイガが自身の「モノグラムラインシリーズ」「ボーダーラインプロジェクト」で作成した木彫のヴィトンを宮城県立美術館でのグループ展に展示しようとしたところ、LVの文字部分を黒いシールで覆っての展示を余儀なくされた事件。前述都築響一ブログ2参照

キリンアートアワード受賞映像作品修正展示(2003.10) 作者:k.k.による映像作品「ワラッテイイトモ、」は、2003年度のキリンアートアワード(審査員:椹木野衣、五十嵐太郎ら)の審査で一度最優秀賞に選ばれたものの、TV番組「笑っていいとも!」からの大量のサンプリングが用いられており、権利処理が難しいことから結局「審査員優秀賞」となった作品3種類の修正バージョンが作られた。

大西若人「文化は誰のもの:最高作なのに非公開 なぜ?」(2013年9月25日 朝日新聞 文化総合面)

小崎哲哉「Out of Tokyo 075 ワラッテイイトモ、」『Real Tokyo』

http://www.realtokyo.co.jp/docs/ja/column/outoftokyo/bn/ozaki_075/

artscape五十嵐太郎レビュー2003.11.15 http://artscape.jp/report/review/10093890_1735.html ほか、近藤正高(ライター)の日記で関連記事インデックスありhttp://d.hatena.ne.jp/d-sakamata/19821004/p1

「ニシモトタロウ」氏ブログ

http://web.archive.org/web/20031011115855/http://taro.readymade.jp/blog/ (archive.org保存)

 

【事例8】F/T(フェスティバルトーキョー)「Cargo Tokyo-Yokohama」修正要求(2009.10)

東京都の現代舞台芸術の祭典である「フェスティバル/トーキョー(F/T)」の2009年秋のシーズンで、リミニ・プロトコルというヨーロッパを拠点とする演劇のカンパニーが招待され、作品が上演された。2009年11月25日から12月21日の期間、1日1回約2時間の公演である。

公式ドキュメントブックより作品の概要を引用する。

 ボルボ社製トラックの荷台に乗り込んで体験する「荷物目線」の東京−横浜ツアー。埠頭で積み込みを待つトラックたち、海を挟んだ対岸に見える工場の影、流通センターで働く人々の姿…初めて見る風景に観客たちは感嘆の声をあげる。突如現れカーチェイスを仕掛けるデコトラ「芸術丸」や、路上で歌うブラジル人女性歌手など、フィクショナルな要素も交えた奔放さの一方で、社内では世界各国の道路事情や日本の運輸政策に関する映像が流れ、ナビゲーターも務める二人の運転手のリアルな暮らしぶりも伝えられる。家族のこと、趣味のこと……たわいのない話の向こう側には、グローバル化による運送会社同士の競争の激化や労働者管理の厳格化といった問題も顔をのぞかせる。「異世界」や「非日常」を楽しむ旅。だがそれは確実に誰かの「日常」であり、私たちの暮らしにつながる社会のリアルでもあるのだった。
(フェスティバル/トーキョー実行委員会編(2010)『F/T09 ドキュメント』p130、執筆:鈴木理映子)

この作品はいわゆる劇場ではなく野外で移動しながら行われる体験型演劇作品である。都市生活を支えている物流システムを可視化/体験するために、観客は大きなトラックの荷台に左側面を向いた階段上の観客席に座り、トラックに輸送される荷物の視点で、自分たちの生活を支えている都市の物流を追っていく。東京の湾岸部から横浜までの様々なコンテナ・ターミナルなどを移動しながら外の景色やパフォーマー達のパフォーマンスを見ている時間と、時折トラックの窓がスクリーンで隠されてそこにプロジェクターで投影される日英バイリンガル字幕のビデオ映像(内容は流通業界の歴史や関係者へのインタビューの様子)を見ていく時間が交互にある。

さて、この作品の上演において、本番の直前に関係者を観客とした最終テスト上演を行った。その時、東京都の文化政策の担当者が、ビデオ映像の一部について問題点を指摘した。それは、私企業である佐川急便の社史について解説される部分であった。内容としては、佐川急便が、後発の会社として、日本通運が独占していた長距離物流のマーケットに食い込み、自分たちの仕事を全国規模に拡げるために政治家たちに規制緩和を働きかけた結果、政治スキャンダルになった「佐川急便事件」の部分であった。

東京都の文化政策の担当者の主張は、公的助成を受けて行われる作品で、私企業のネガティブな過去を解説することが行政の中立性に反し問題であるということであり、その映像を変更しない限り上演は認められないとした。

そのため、前日にもかかわらず、上演できなくなりそうになったが、しかし、前述の高嶺の事件でも登場した横浜の財団の専務理事である加藤種男がこの担当者を説得し、予定通り公演は実現した。


【参照】

フェスティバル/トーキョー実行委員会「フェスティバル/トーキョー10ドキュメント」(2011)

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