美術表現に関わる近時の国内規制事例10選(1994-2013)
10 recent cases of restricted artistic expression in Japan [1994-2013]

C 文教行政・文化政策と美術館、および報道を巡る問題

タブーに触れる、あるいは行政において忌避される政治的事項に触れる展示に関する問題は、この節に限定されず本稿で取り上げる全ての事例に関わる要素である。本節では、他に具体的な違法性がほぼ認められないないのにも関わらず、展示が中止・変更されたケースを取り上げる。

死刑囚の制作した美術作品については長年タブーとされている。事例2の関連で取り上げた春画展や、このあと事例7で取り上げるバッタもん展における反応と同様、「そういったテーマのものを展示することが反社会的行為」と、誰かによってそう判断されうる場合に、美術家ないし学芸員の側の抵抗の論理はないのだろうか。

1984年、東京の画廊で開催された「冤罪と人権」展の仙台巡回を企図して、宮城県在住の美術家が県美術館内の県民ギャラリーに使用申請を出し、認められて「冤罪と人権」展が開催されることになった。すると、県議会で議員が「県美術館に死刑囚の絵を展示するとは何ごとか」と発言したという。展示作品の中には、例えば長年宮城刑務所に収監され、無実を叫びながらその後獄死した、帝銀事件の死刑囚である平沢貞通の作品が含まれていた。

このケースでは、会場を借りた美術家は記者会見での対応を迫られたものの、美術館の酒井哲朗学芸部長(当時)は、県に対して、「県民ギャラリーは県民なら誰でも使用できるし、どのような作品が展示されようとも美術館は関与しない。死刑囚の手になろうとも作品であるなら美術館は展示するし、県は金を出そうとも口を出さないのが見識」と語り、県からのそれ以上の干渉はなかったという 。

 

「単に上級行政機関からの、あるいは外部の優勢な社会的勢力からの、『圧力に屈して』、作品を投げ出すが如きは、作品を守る義務の放棄であり、到底、文化機関としての公立美術館の名にふさわしい職責の履行と認めることはできないといわなければならない。これが〈義務=自由〉としての文化専門職の職責の原理の帰結である」

蟻川恒正1997「国家と文化」岩村正彦ほか編『岩波講座現代の法1 現代国家と法』岩波書店p218

 

【事例5】新潟市美術館クモ・カビ問題と北川フラム館長更迭(2007~2010)

新潟市美術館館長に北川フラム氏が就任した後、アンチ北川派の元学芸員と思しき匿名の人物らによる「新潟市美術館を考える会」が発足。ネット上で批判を続ける中で、様々な「不祥事」が新聞等で報道された事例。
報道の公平性の問題については、近年ではあいちトリエンナーレ2013において、中日新聞社が掲載した「座談会」を巡り芸術監督の五十嵐太郎が不満を表明したケース(http://artscape.jp/report/review/10093900_1735.html )、また水戸芸術館が、館の運営を批判的に取り上げた地上波民放番組「ジカダンパン」に対して抗議文をウェブサイトに掲出したケース(http://www.arttowermito.or.jp/jika/jikareportj.html 2002.10)等がある。
 

展示の規制や美術館の人事に影響を与えたことが明らかになったケースは、これ以外には多くは見つけられていない。なお影響は不明だが報道されて話題になった点で類似点が見られるケースとしては、金沢21世紀美術館で、パワハラ問題報道および同時期に報道されたカビが発生したために国宝展の誘致に失敗した問題の報道(ともに2013)がある。橋本啓子による詳細なレポートが出版された新潟のケースを見る限り、こうした問題は新潟や金沢に限らず、美術館学芸員を巡る問題の氷山の一角であり、美術館学芸員の狭い世界の人事を巡る政治的駆け引きと報道が連関してしまうことは、今後も生じると考えられる。


【参照】
橋本啓子『水と土の新潟 泥に沈んだ美術館』(2012年アミックス刊)
「新潟市美術館を考える会」旧サイトアーカイブhttp://rencam.web.fc2.com/

【関連事例】

岡本光博「赤絨毯」展示新聞報道(2007.1) 美術家の岡本光博が、沖縄県平和祈念公園内の「平和の礎」に刻まれている戦災犠牲者の名前を、白い紙に赤エンピツでフロッタージュにより浮かび上がらせ、それを2006年6月の「慰霊の日」に琉球大学の渡り廊下ににしきつめて赤い絨毯のように展示した。ところが翌年1月になって、これが「京都から来た美術家が犠牲者の名前を踏みつけて鑑賞する作品を制作・展示した」と報道された。

沖縄タイムス2007/1/23朝刊25面「戦没者名 踏んで鑑賞/「平和の礎」を作品化 京都在住の美術家制作」 http://web.archive.org/web/20070125231345/http://www.okinawatimes.co.jp/day/200701231300_03.html (archive.org保存)

沖縄タイムス 2007/1/23夕刊5面「戦没者名作品 踏み付けの写真削除」 http://web.archive.org/web/20070325080011/http://www.okinawatimes.co.jp/day/200701231700_03.html (archive.org保存)

岡本光博サイト

http://okamotomitsuhiro.com/page/okinawa/RCP/ns310red%20carpet%20ru.htm

広島市現代美術館Chim↑Pom 展開催延期(2008.10) 広島市現代美術館での展覧会を準備していた美術家集団Chim↑Pomが、映像作品の制作中に飛行機を使い「ピカッ」と読める文字を広島市上空に描き出したところ、これが地元新聞社によって取り上げられ、その結果展覧会の中止をはじめ、様々な余波が生じた。

Chim↑Pom『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』(2009年河出書房新社)

住友文彦 ・保坂健二朗『キュレーターになる! アートを世に出す表現者』(2009年フィルムアート刊)

 

【事例6】「遠近を抱えて」沖縄展展示中止(2009.4)

2009年4月11日から5月17日にかけて沖縄県立博物館・美術館および指定管理者の「文化の杜企業体」の主催で開催された、同館の外部の企画者による美術巡回展「アトミックサンシャインの中へ 憲法第九条下における戦後美術」展において、既に先行の2会場で展示されていて、同博物館・美術館でも展示が予定されていた大浦信行の連作版画作品『遠近を抱えて』が、同館での展示の企画段階で主催者より展示を拒否され、展示されなかった事例。

この展覧会の企画者は外部の独立キュレーターの渡辺真也であり、既に前年の2008年にニューヨーク(Puffin Room, 1月12日~2月10日)と東京(ヒルサイドフォーラム,8月6日~8月24日)の2箇所の私立スペースを巡回してきた、憲法9条をテーマとした展覧会であった。渡辺によれば、企画の趣旨は「戦後の国民・国家形成の根幹を担った平和憲法と、それに反応した日本の戦後美術を検証する試み」であった。

しかし沖縄展に際して、出品作の一つであった大浦信行『遠近を抱えて』シリーズの作品については、かつて富山県立近代美術館における問題があったことから、「公立館での展示として相応しくない」という理由で館長の牧野浩隆が渡辺に展示しないよう求め、その結果、館側によれば「キュレーターの同意を得て」展示が行われなかった。しかし、このことが報道されると、渡辺は「展示できなかったのは本意ではない」と反発した。一方館長は、どんな作品が展示されるかの裁量は館にあるとした 。琉球新報が報じたところによれば、同館の指定管理者である文化の杜共同企業体は「わたしたちは展示のスポンサーであり、美術館に沿った展示を求めるのは当然。契約以前の交渉段階の話であり、渡辺さん自身の判断で大浦さんの作品を外しただけだ」とコメントしている。

この件について経過を取材した小倉利丸によれば、当初牧野館長の意向は指定管理者の担当者を通じて渡辺に伝えられ、それに対して渡辺は別の映像作品への代替案を館長に打診し、容認の返答をもらったものの、渡辺が電話で大浦に作品変更を打診したところ、検閲があったことを明確に示し、抗議の意志を表示するため、当初の作品を裏返して展示することを提案。しかしこれは館側から拒否され、結局一切の作品が出品できなくなったという経緯があったという。

小倉によれば牧野館長は「これまでのニューヨークと東京での展示は民間のギャラリーであり、公共の美術館とは違う」ということを述べ、またその直後に行われたマスコミとの懇談の席上、記者からの再度の説明要求に対する具体的返答として、「県立博物館/美術館は条例により、展示物に教育的配慮が求められて」おり、「(天皇制への賛否がある中)バランスを欠いたものを公的機関が支援できない。外した作品には裸体や入れ墨もあり、県教育委員会の下にある公的機関としてふさわしくないと判断した」と述べたという 。さらに館長は6月に入って、より詳細に自らの展示拒否の措置を説明する「教育的配慮と自由裁量」と題されたエッセイを『沖縄タイムス』に3回にわたって寄稿した 。その中で館長は、以下のように主張する。

 「重要なことは、『教育的』の視点から『作品そのもの』を観た上で、展示が果たして『妥当か否か』を検討することである。」「専門学芸員とともに検討し、さらには教育長の指導を仰ぎ、当美術館における展示には、『ふさわしくない』と判断された。その理由は、当美術館の設立根拠『沖縄県立博物館・美術館の設置及び管理に関する条例』によって、『教育的配慮』が要請されているからである 。」

エッセイの他の部分を総合すると、要するに牧野館長の主張する論理構成は、以下のように、「教育的配慮」の必要性による「裁量」である。

・沖縄県立博物館/美術館は教育委員会管轄下にあり、また条例によって「教育的配慮」が要請されているため、自由な活動が可能な民間の施設とは異なる。

・「教育的配慮」の基準は教育基本法および学習指導要領の趣旨に照らすのが妥当であり、「小学校学習指導要領」と「中学校学習指導要領」に照らすと当美術館では当該作品の展示は「ふさわしくない」と判断される。

このケースを本事例集の事例7に収録したバッタもん撤去と比較すると、美術館の学芸員による企画ではなかったという点が大きく異なるが、外部のキュレーターとの間で開催についての基本的な合意があったにもかかわらず、当該作品を不展示として強引にはずさせた点、また、美術館学芸員による慎重な検討がされずにトップダウンの介入によって発生したといえる点で類似性がある。

一方で、牧野館長による不展示判断の背景に、富山の事案とは異なり、昭和天皇の容態への国民の関心といった社会状況や、右翼や議会での展示に対する抗議などが一切なく、より純粋な自主的規制といえる。さらに独自の展開として、館長が、教育委員会管轄下にある公立博物館/美術館は「教育的配慮」の規律に縛られ、その内容が教育基本法および小中学校の学習指導要領の趣旨に照らして判断される、という持論を展開した点が特徴的である。

なお、牧野氏は、大分大学経済学部卒業で、琉球銀行勤務を経て副知事になり、稲嶺県政では経済分野を主として担っており、いわゆるミュージアムや美術の中での専門職としてのキャリアはないばかりか、文教行政の経験もない。もともと同館の館長職は副知事経験者を中心に人選された名誉職的人事であり、牧野氏は副知事時代に県立博物館・美術館の建設に関わった「経験」を評価され、開館時にこのポストに就任したという 。


【参照】

http://www.shinyawatanabe.net/atomicsunshine/okinawa/concept.html

琉球新報2009/4/14社会面「天皇モチーフ作品」外す 憲法9条企画展」

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-143081-storytopic-1.html

沖縄タイムス2009/4/14社会面「天皇題材の作品外す 県立美術館「九条」展 開催前 館長ら要望/識者問題視「表現を制限」 http://web.archive.org/web/20090621231859/http://www.okinawatimes.co.jp/news/2009-04-14-M_1-027-1_002.html?PSID=de689bd3a062d2cd4945abd11555bf5d  (archive.org保存)

琉球新報2009/5/19社会面「県立美術館に抗議 天皇コラージュ非展示の作者」

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-144741-storytopic-1.html

沖縄県立美術館検閲抗議の会(2011)『アート・検閲、そして天皇—「アトミックサンシャイン」in沖縄展が隠蔽したもの―』(社会評論社)

小倉利丸『「アトミック・サンシャインの中へin沖縄」における検閲をめぐって』

http://www.peoples-plan.org/jp/modules/article/index.php?content_id=8

同『館長との会見』

http://alt-movements.org/no_more_capitalism/modules/documents/index.php?content_id=44

牧野浩隆「教育配慮と自由裁量」『沖縄タイムス』2009/6/17~19

【関連事例】

富山県立近代美術館天皇コラージュ事件

横尾忠則ポスター教科書検定差し替え(2008.4)

横尾忠則個展鑑賞教室中止(2008.5)

「はだしのゲン」閉架措置指示等(2013.8~)

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