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「終わってる」アートシーンに革命を起こす?
椿昇が欲望するアートのエコシステム

2018年3月19日 京都造形芸術大学美術工芸学科 研究室にて
インタビュー・構成: 島貫泰介
写真: 前谷 開


作品制作だけではアーティストは生活できない、日本でアートは盛り上がらない、というのは何十年も前から言われてきたこと。だが、ここ数年の不況や国際情勢のシビアな変化は、その感覚をより強めているように感じられる。そんな状況のアートシーンでは、コレクターやパトロンの登場を期待する声も少なくないが、果たして今日におけるアーティストの支援者とは、どんな存在としてあり得るだろうか?
京都造形芸術大学・美術工芸学科学科長の椿昇は、アーティストとして自ら活動するだけでなく、教育の場を起点にして、アートを社会に届ける活動を続けている。アーティストが主導するアートフェアのディレクションや、作家自ら市場経済にかかわるためのシステムづくりなどに挑む椿に、「パトロンは必要なのか?」と尋ねてみた。

「パトロン」は時代遅れ
 
——ズバリ聞きますが、アーティストにパトロンって必要ですか?

椿: いやあ、このインタビューの依頼をもらったとき、頭のなかで「チ〜ン」って葬式の鐘の音がしたね(笑)。クラウドファンディングっていう新しい資金調達方法があって、ビットコイン(仮想通貨)が動く時代に、アートの世界はなんて古色蒼然・旧態依然な考え方をしているんだろう、と。
 日本の教育機関や文化機関がアートマネージメントやエデュケーションを奨励するようになったのはまあよいけれど、じゃあそれは何を目的にして活動しているのか? 正直言って「アートマネージメントのためのアートマネージメント」でしかなくて、それはごっこ遊びでしかない。ファクト(内実)がどこにもない。 
 僕にとってはこの問題はめちゃくちゃ簡単で、単純に「どうしたら(アートで)ご飯を食べられるか?」ってことに集約できる。例えばお百姓さんがかぶらをつくったとして、それをお代官様に納めるのか、それとも道端のお地蔵さんに供えるのか。お地蔵さんはお金を払ってはくれないけれど、心的な充足感が得られるかもしれない。一方、お代官様に納めたところで何もよいことはない可能性だってある。これはあくまで例えだけれど、そういった経済活動の発想がアートには組み込まれてなさすぎるし、アーティスト自身も仮想現実のなかで生きているからアクチュアルさがない。
 かつてヨーゼフ・ボイスは社会変革を目指したけれど、その裏に経済的に支えている第三者がいたからあんなファンタジーを続けられた。だから、アートのファンタジーを成立させるために、誰かが湯水のようにマネーを供給するシステムはそもそも成立しえないんだよ。けれども、その幻想の周辺でアイスブレイクごっこを延々と繰り返しているのが日本なんだ。
 経済が「もの」だけでなく「こと」へもシフトして、実際的な収益がゼロだとしてもそこから何を生むか、どんな市場価値を形成するかを追求する時代に、六本木や代官山に住んで数億円の年収を稼ぐ30代の連中に向けて、アートの人間が「パトロンになってください!」なんて言ったって通用しない。彼らの生活に適合したシステムを構築するか、アーティスト自身がまったく異なるシステムを生み出して提示しなければ、彼らの関心を惹きつけられないという確信が僕の根底にはある。そうやって互いが挑発し合うことで物事は動き出すわけで、やっぱりアートの人はのどかだなって思っちゃうよね。

——その考えは、椿さんがアーティストとして活動しはじめた80年代から続くものですか?

椿: 僕のちょっと上が学生運動の渦中にいた「革命の世代」だったから、その影響がとても大きいね。中学2年のときに『毛首席語録』(注1)を読んで、北京放送を聴いて、中国共産党員になりたいと思っていたんだから(笑)。その理想に共感しつつも、もちろんその終焉・失敗も知っている。だから、昔からずっと考えていたのは安易に集団に属さず、アートを含めたシステム自体から逃れることだった。根性がレボリューションだった。
 だから僕の仕事はつねに「Go public」。公共性に向かっている。ビットコインに共感するのも、サトシ・ナカモトって名前を使ったヨーロッパのプログラマーが、危険性があったとしても資本主義に変わる新しい何かを模索しようとして生まれたもののはずだから。国家に管理されず、人が自由に動くためのエンジンとしてブロックチェーンはすごく重要なシステムなんだよ。革命に興味があって、たまたま自分が生まれ落ちてたどり着いた場所が美術。そのなかでのテロ、クリティカルなアクションを考えてきたのであって、じつはアートのために何かしようと思ったことはない!

——自分の活動がテロだという発言を、椿さんは頻繁にしていますね。

椿: そうだね。歴史上、あらゆる抵抗はテロ。成功すれば革命と称揚されるけど、失敗すれば単なるテロで終わってしまう。だから、絶対に勝たなきゃいけない。僕は、アートに限らず僕の先輩らが負けて、殲滅され、転向するのを見続けてきた。だからこそ時代を冷静に見て、静かな革命を目指している。自分の周辺のできることから変えていく。僕は異常なくらい現実主義者なんです。

——現実主義という観点で言うと、若いアーティストたちは身の丈にあったつつましい生活のなかで制作活動を続けるための手段としてコレクティブ(共同体)を結成する動きを見せたりしています。

椿: それも僕からすると、その原始共同体的なコレクティブのあり方に、現実に対するアクチュアリティの欠如を感じる。自分たちの外に広がるネットワークを切り捨ててしまっている。つまり政治や官とのつながりを拒絶している。それは日本の現代美術の主流の潮流でもあって、日本だけの変な袋小路に思える。美術っていう奇妙なコクーン(繭)に閉じこもって、同業者同士で傷を舐め合っているだけ。日本画の排他性や党派性はよく批判されるけど、現代美術のやつらは連中の悪口なんてとても言えないよ。
 これまでアートの人間は、科学や経済の分野で活動する人たちと互角に戦うための言葉を持ってこなかった。若手・中堅のギャラリストだって「取扱作家です」なんて言って若いアーティストと付き合ってるけど、作品を売れてないじゃない。それは詐欺と一緒だよ。


研究室内に並ぶ購入者へ輸送待ちの作品たち

必要なのは作品を「買う」感覚をつくること
 
——実践の例として、椿さんは先日「ARTISTS’ FAIR KYOTO」を開催したり、京都造形芸術大学では卒業制作展での作品販売を行っていますね。

椿: 卒展で作品の売買を始めたのは5年前。授業で国際市場を見据えた価格の付け方や、プライマリー・ギャラリー、セカンダリー・ギャラリーの位置づけなんかを教えて、作家自身が卒業作品に値段をつけるようにした。会場も京都市美術館から大学内に移した。
 最初はいろんな抵抗があったよ。親御さんにしてみれば市の美術館で展示できるのは晴れ舞台だからさ。でも美術館ってだいたい17時で閉まるでしょう。そうすると仕事を終えた購買層は見にくることができないし、その場でパーティーや作品について話してワイワイ盛り上がることもできない。
 僕のイメージしている理想の環境はロンドンのRCA(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)なんだけど、市場原理に則していくならシステムを全部一新しないといけない。そこでRCAのシステムを踏襲して、協賛企業も自力で見つけてきた。そうやって実際的に動くことで、反応がじょじょに変わってきたんだ。今年は、作品的には少しおとなしめで「販売額が落ちるかな?」と思っていたんだけれど、見に来る人に買い癖がついたからなのか数字はよかった。

——卒制作品はどのくらいの値段設定でしょうか?

椿: おおむね4~5万円あたりかな。学外のギャラリーやコレクターも買いに来るんだけど、じつは友だち同士や学生の親が買う。さらに職員、教員も買うようになって、局地的に活発な内需が生まれている(笑)。
 僕が立ち上げたプロジェクトで「アルトテック」(注2)というのがあるんだけど、先日のフェアで売り上げ上位5名はみんなそれにかかわる京都造形大学出身者だった。それはなぜかというと「普通」だからですよ。よい意味での普通さ。アーティストが作品の前に立っていて、作品について喋って、購入者はグッと感動して、パッと買う。アートにつきまとっている気持ち悪いさまざまなものを介さずに、直接人と人とがつながることが、結果的によい数字として現れている。
 日本のなかでアートが認められない理由はいろいろあるけれど、もっとも強調しておきたいのは「みんな作品を買わない」こと。日本のアート産業が盛り上がっているなんて言説もあるけれど、そのうちの半分がポストカード類の売り上げっておかしいでしょ(笑)。世界を見渡せば、アートにおけるBRICs(注3)の台頭が見えてくる。世界のマネーを支配していたアメリカのアングロサクソン系に対して、ブラジル、ロシア、チャイナが戦いを挑んでいる。世界の美術品の売り上げが6兆3000億円と言われているうち、ニューヨークが40%、ロンドンが20%。それに対してチャイナはもう20%に達した。それは、中国人はわけのわからんものでも国内のものであれば買うっていうメンタリティーがあるから。
 ややこしい理由だとか、パトロンの有無だとか関係なくて、日本は単純に作品を買わないから負けていくんだよ。本当なら総売り上げの10%は日本が食い込んでいてしかるべきなのに。

——日本の戦後美術、現代美術、古美術は国際的に見て決して評価が低いわけではないですね。

椿: ようするに、90年代以来、国公立の美術館が現代美術を買ってこなかったからですよ。その結果、名和晃平さんをはじめとする日本の作家の作品はみんな海外に買い漁られてしまった。網羅的に集めているのは高橋コレクションくらいで、他はほぼ全滅。僕に言わせるなら、日本美術市場最大の流出が90年代に起きて、それをアート関係者は手をこまねいて眺めているだけだった。古美術であれば、戦前の骨董屋が必死で海外流出を食い止めたのに。

——結果、日本の現代美術の国際市場はきわめて小さいままです。

椿: 日本が他の東アジアの国よりも早く近代化を迎えたこともあって、既得権益が巨大化してしまったんだよね。だからいまだに百貨店が強い。でも、ビットコインの時代に藩札を刷っているようなものだから、いつまでもつか。
 僕のところにも学生の作品を催事場で展示しませんか、って誘いがよく来るんだけど、人の気配のない最上階でなんて絶対にアートを見せたくない。2〜3階のハイブランドの店舗が並ぶフロアーで、1000万円以上の作品だけを並べてもいいならやる。そうすることでアートの価値・価格がわかるし、作品を見る人の目も成長する。高級ブランドや高級車以上の価値がアートにはあるんだから。

——デパートの顔になるスペースにアートが並ぶ風景は、見てみたいですね。

椿: 僕がさっきアートをBRICsにたとえたのは、もうひとつ理由がある。BRICsの国々は資源を握っている国でしょう。アートに関して言えば、日本はまさに油田。若いアーティストの作品もめちゃくちゃクオリティーが高くて、メタンハイドレードの比じゃないくらい高い価値を持っている。でも、それを見せるためのインターフェースのほうがぼけぼけしているから、みんな見殺しになってしまっている。この現実を変えていかないと。

現代のマルキストは、人が想いを寄せ合う社会を目指す
 
——でも見方を変えてみると、そういう空間をつくって目利きやプレイヤーを育てること自体が、未来のパトロンを育てることにもなるのではないでしょうか?

椿: それはやっぱりパトロンじゃないんだな。そんなかっこいいものではなくて、シンプルに心を寄せ合うことができる空間、システムをつくるってこと。
 聖書に「はじめに言葉ありき」という一節があるけれど、一説によると、そこで言うラテン語の「ロゴス」の意味は言葉ではなかったかもしれない。実際には「想い」という意味だったかもしれず、それは最初にイメージがあってそこに言葉がついていくってこと。日本人は欧米社会を「言葉の社会」と思いこみすぎて、自分の言語化能力の欠如にコンプレックスを抱くけれど、そんな必要はないんだよ。普遍的な「想い」への感覚は普遍的なものなんだ。そしてそれは大勢の人たちのあいだでシェアできる。そういう意味でも現在のシェアリングエコノミーとアートはつながっていると思う。
 パトロンって言葉には、上から目線の感覚があって気に入らないよ。俺が誰かを応援してやるって発想はおっさんぽくて、ある種のハラスメント感があって気持ち悪い。そうじゃなくて、ただ想いを寄せる。肩を組んで、ハグしあう。そういう気持ちのよさが大事。

——なるほど。最後の質問なのですが、日本でアーティスト活動していこうとすると、やはり別に仕事を持って制作していくダブルワークのスタイルが現実的に思えます。椿さんは、そのあり方をどう思っていますか?

椿: タイプによる。名和さんやヤノベケンジさんや僕のようなプロジェクト型の作家は、ネットワークを使いながら進めていくので教員や別の仕事をしながらでも成立する。でも、ペインターのような最後まで自分一人でやる職人肌のタイプは制作に専念しないと難しい。作品に向ける時間と執念が薄まってしまうと、クオリティーの低下が明らかだから。
 プロジェクト型の作家も大変なのは同じだけどね。僕は第一回横浜トリエンナーレでバッタのプロジェクトをやるまでは、中高の美術教師としてバスケ部の顧問をやって、担任をやって生き延びてきた。家も裕福ではなかったから、まずは作家活動のための資金源を確保することが最優先で、そのために先生になった。そうやって当座の資金源を得た後は、とにかく寝ずに仕事をした。子どもが生まれた後は、ちょっと田舎に引っ越して、子どもをお風呂に入れて寝かしつけてから零下7℃の環境で朝4時まで制作して、学校行って教えてた。這うようにして生きてた。

——過酷ですね!

椿: 大きなシステムに対する敵愾心、カウンターの精神があったからこそできたと思ってる。そしてやはりレボリューション。中学のときに影響を受けた、しかし成就されなかったものの幻影を追い続けているんだ。だから僕にとっての作品は態度(アティチュード)なんだ。何かをつくる、ではなくてどっちを向いて進んでいるってことが僕のアーティストとして存在する意味。
 ARTISTS’ FAIR KYOTOの依頼があったときも、主催の京都府に言ったのは「言うことは何も聞きません。やりたいようにやります」ってことだった。そのかわりに協賛企業も自分で見つけるし、施工も自前でやる。そうやってこれまでやってきたからね。そうしたらこないだの報告会でやたら絶賛された。「放し飼いにしておいてよかった」と言われたよ(笑)。

——(笑)。

椿: そういう意味でも、オーガニックなエコシステムの開発が僕のやってること。余計なものをなるべく入れず、直接的な関係性を重視する。だからARTISTS’ FAIR KYOTOでは作品が売れても作家から手数料を取ったりしてない。売れたら100%作家に入る。そのかわり発送とか事務作業も全部作家自身がやるんだけど、もちろんその方法もしっかり教える。今年はフェアと卒制を合わせて売り上げが3000万円くらいあったから、ようやくいろんなものがちょっと変わってきた感じがあるね。

——革命の成就が見えてきた?

椿: う〜ん。でも目的地の国際市場まではアンドロメダ星雲くらいの遠さがあるからね。残る手段は宇宙戦艦ヤマトをつくってワープするしかない。空間曲げて追いつくしかない(笑)。何か奇跡を起こさない限りは、アジア諸国とも同じフィールドに立てない。これからの数年の課題はそれ。
 具体的には政治に訴えて、法律を変え、税制を変えたい。そして例えば羽田空港にスタジオ、レジデンス、ギャラリー、ホテルを併設した無税の芸術特区をつくって、そこに世界の富裕層が自家用ジェットで直接やってきて作品を買って帰れるようにする。いま香港に世界の富や知識が集中しているのは、あそこが作品売買において無税だから。もし作品を中国本土で売れば36%課税されるけれど、香港であれば100%作家に入ってくる。中国はそれをうまく使いながら統治をして、ニューヨークから権力を収奪しようとしているんだよ。そんな世界戦略が進む隣で、日本はなんで小学校の敷地に埋まったゴミの話をしているの?
 日本でも名和さんや草間彌生さん、村上隆が東洋の枠組みで利用されているけど、一部のピークだけがあって、裾野への広がりを持ったボリュームゾーンを形成するには至っていない。それじゃあ永久に日本の若いアーティストもギャラリストも食っていけない。僕がやっているのはその裾野づくりだと思っていて、名和さんがピークをつくり、僕は学生の作品を売る環境をつくって裾野を耕していこうとしているんだ。

——お話を聞いて思ったのですが、椿さんはヨーロッパ型の左翼なんですね。近年の日本の左翼は現状維持を重んじますが、向こうの左翼はもっと急進的ですよね。社会革新のためには手段を選ばないところがある。

椿: そう! 現実主義だし左翼だしマルキスト(笑)。アーティストも含めた、すべての存在の権威を引っぺがしたいんだな。


*注1 『毛首席語録』
中華人民共和国を建国した毛沢東の著作を引用した書籍
*注2 「アルトテック」
若手アーティストの作品を預かり、企業や個人へのリースを代行するシステム
*注3 BRICs
2000年代以降に経済躍進を遂げたブラジル、ロシア、インド、中国の4か国
椿 昇(つばき のぼる)
1953年京都府生まれ。1989年全米を巡回した「アゲインスト・ネーチャー展」、1993年「ベネチア・ビエンナーレ」に出品。2001年「横浜トリエンナーレ」では、巨大なバッタのバルーン《インセクト・ワールド−飛蝗(バッタ)》を発表。2003年水戸芸術館、2009年京都国立近代美術館、2012年霧島アートの森(鹿児島)などで個展。2013年「瀬戸内芸術祭」での「醤+坂手プロジェクト」など、地域ディレクション多数。2018年より「ARTISTS’ FAIR KYOTO」をスタート。現在、京都造形芸術大学美術工芸学科長、教授。


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