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作品は作家からの預かりもの
アートコレクター・田中恒子 インタビュー

2019年2月17日
インタビュー・構成:武本彩子
写真:前谷 開
場所協力:前田珈琲 明倫店


関西のギャラリーや美術館で、アートコレクター・田中恒子さんにお会いしたことがあるという方は決して少なくないのではないでしょうか。住居学者として多くの書物を著し、大学教員や中学校の校長としても忙しい生活を送る一方、関西圏のみならず全国の展覧会に足繁く通い、1000点超にもわたる若手作家の作品を中心とした現代美術のコレクションを築いてきた田中氏は、たくさんの作家や美術関係者からも「恒子さん」と呼ばれ親しまれる存在です。2009年には、和歌山県立近代美術館に約20年かけて集めてきたコレクションの大半を寄贈し、同年、美術館では「田中恒子コレクション展(注1)」が開催されました。長年一緒に暮らし、「家族のよう」と表現する愛着ある作品を美術館へ送り出してきた田中氏の作品に対する想いと、支援者であり、また表現者でもあるアートコレクターの生活や活動についてお話を伺いました。

作品を社会に還元する
 
——2009年に、コレクションの大半を和歌山県立近代美術館に寄贈されましたね。
 
(寄贈の際に開催された展覧会のカタログ(注2)を見ながら)
田中:こうして一つ一つの作品を写真で見ると、もう懐かしくて懐かしくて。古い家族にまた会えたような感じがします。

寄贈することを考えていた時、他にもいくつか関西の美術館で候補があったのですが、その中でも和歌山県立近代美術館にもらっていただくのが一番良いと思っていました。理由の一つは、毎年夏に開催していた現代美術の展示が気に入っていた、ということ。もう一つは、担当してくれた学芸員の奥村泰彦さんという方が、いろんな展示を見ていて、ギャラリーを回っていてもよく会うので、奥村さんのいる美術館なら、と思ったんです。それに、和歌山県立近代美術館の建物(設計は黒川紀章)は、建てる前に学芸員のみなさんがよく議論されていて、内部が実に使いやすく設計されてあるんです。

——美術館に寄贈されることが決まって、肩の荷が降りた、というようなことを言われていましたが、どのような心境だったのでしょうか。

田中:作品は作家からの預かりものですから、災害や盗難のことを考えると、自宅に作品があるのは不安でした。寄贈が決まって、これで美術館が守ってくれる、とほっとしましたね。それに、専門職である学芸員の方が、作品の調査もしてくださるし、記録もとってもらえますし。

——カタログには作品の一覧が載っていますが、1000点近くもあるそうですね。

田中:寄贈点数が多くて、美術館の方たちには忙しい思いをさせたし、もしかしたら迷惑と思われたかもしれません。寄贈のとき美術館が調査をされたら、評価額が購入時の何倍もの金額になっている作品もあって驚きました。所有しているときから、「売るときには言ってください」と画廊から熱烈に声をかけられていた作品もあったのですが、私は結局作品を売ったことがないので、評価額がいくらぐらいになるのかもわからなかったのです。
そして、美術館に贈るからには、一人の作家に対して複数の作品を贈ろうと決めていたので、点数を増やそうと、新たに購入した作品もあります。例えば、藤浩志さんの作品は「ヤセ犬」のシリーズしか持っていなかったので、他の作品も購入してからあわせて美術館に寄贈しました。

——開催されたコレクション展を見ていかがでしたか。

田中:展覧会で面白かったのは、名和晃平くんの羊の作品(《PixCell – Sheep》)は、このシリーズの最初の作品なんですが、見に行くと子どもたちがみんなこの羊の下で寝ていたんです。疑問に思っていたら、美術館って天井から光が来るでしょう。上からの光で見ると横から写真を撮った様子と全然違うので、子どもたちが下から見上げてキレイって騒いでいたんです。私はさすがに寝転ばなかったけど、しゃがんで見て、「本当だ、綺麗だよね」って、小学生に新しい見方を教えてもらったんです。

田中:奈良美智さんの《どんまいQちゃん》は、我が家にあるときから、うちに来たお客さんがいつも2ショットを撮って帰るくらい人気だったのですが、美術館に行ってもやっぱり人気のある作品でした。美術館のアンケートでも子どもたちに「次にQちゃんが出るのはいつですか」って書かれるそうです。作品が美術館に出ることで、いろんな人に見てもらえる。特に、教育に関わって来た者としては、子どもに自由に見方を考えさせるという、教育の本質を見た気がしました。

——愛着のある作品を手放すことに寂しさはなかったのでしょうか?

田中:寂しくありません、会いに行けますから。それよりも、とてもたくさんの人に愛されていることが嬉しい。私の場合は、自分が所有する喜びではないのです。「欲しい」っていうのではなくて、「社会に還元した」ということ、社会に「残した」ということが嬉しいのです。

最初のうちは、自分が持っていることを喜んでいたんです。コレクターを始めたばかりの頃は家の中に200点くらいの作品を飾ったりもして。でも、そうこうしているうちに、「作品は社会のものだ」と思うようになり、「社会のものだ」ということを周りにも認知してもらうためには、美術館に貰ってもらうしかないのではないか、と考えるようになりました。だから、美術館には「あげる」というより、どちらかというと「貰ってください」という気持ちなんです。和歌山県立近代美術館にもそのような気持ちでお願いをしました。

——「美術館にアートを贈る会」の立ち上げに関わり、現在も理事をされていますが、コレクター以外にされている活動について教えていただけますか。

田中:2004年に発足した「美術館にアートを贈る会(以下、贈る会)」では第一号として、西宮市大谷記念美術館に藤本由紀夫さんの《HORIZONTAL MUSIC》(1986)というオルゴールの作品を贈りました。それ以降、関西の美術館に、この作家こそは、という作品を寄贈してきたと思います。作品の選定は、美術館からお願いしますと言われる時もあれば、「贈る会」のほうから呼びかけることもあります。贈ることが決まった時には新聞社の取材に答えたり、説明会を開いたりします。
滋賀県立近代美術館に伊庭靖子さんの作品を贈った時には、伊庭さんに何を描いてもらうかということを話し合って決めて、特別に新作を制作してもらいました。「贈る会」の人はアートコートギャラリーの八木光惠さんをはじめみんなプロですから、作家さんの能力や得意技のようなものをどうやって生かすかを考えています。贈る際にはメンバーや同好の士から寄付を募るのですが、例えば伊丹市立美術館に寄贈した今村源さんの作品の下にあるように、贈った作品のキャプションには、寄付をした人たちの名前が列挙してあります。最近は、2018年に兵庫県立美術館に児玉靖枝さんの作品を贈りました。
私は何しろ美術のためにお金を使おうと決心していましたから、周りから何を言われても、「美術を残すことは絶対、後々のために役に立つことだから」と言い続けてきたんです。

アートコレクターになるまで

——「美術のためにお金を使う」と決心されたのはいつ頃のことですか。

田中:退職してから15年になりますが、仕事をしていた最後の15年くらいはそう決めていました。
作品を買うようになった最初のきっかけは、勤めていた研究室に、ある日ミロの絵を持ってきたおじさんがいたんです。 それなりに知られた画廊だったのではないかと思うのですけども、風呂敷に包んで正真正銘本物のミロを持って来たんです。

——画廊が勤務先に出張して来るとは、珍しいですね。

田中:今思うといい加減な話ですよね。でも、その研究室にいた女性の教員が、安くもないミロを買うんですから、きっと画廊のおじさんもびっくりしたんじゃないかと思います。私が買った当時はいろんな人にからかわれたり、「偽物だったらどうするの」と言われたりもしたんですけども、運良く全て本物のミロでした。当時私は何にも知らなかったから、要るか要らないかわからなくて、作品の証明書を捨ててしまったこともある。寄贈する時には美術館の人にひどく怒られました(笑)。ミロはレゾネがあったので本物だとわかったのです。

いざ自分の家にミロをかけてみると、起きてはいいなと思い、 寝るときにもまたいいなと思う。 そのうちに、展覧会というのは、あちこちの画廊でやっているものなんだ、と気づいて、新聞に載っている展覧会評を頼りに、あちこちに出かけるようになった。1989年に東京へ仕事の出張で行った時に、新聞で彦坂尚嘉さんの展示をやっているのを見つけてアートフロントギャラリーに行ったんです。そこに行った時に、「すごくいい!」と一目で思って、その場で作品を買いました。その後大阪のアートコートギャラリーでの展示の時にも買いました。ミロを買った時にはどちらかと言うとまだあまりよくわかっていなかったんですが、 その次に買った彦坂さんの作品からは全部私の直感で選んでいます。在職中に仕事がどんどん忙しくなったのでやめてしまいましたが、展覧会の案内はがき、チケット、新聞記事などを貼り込み、コメントもつけた「展覧会ノート」も98冊までつけていました。今は手帳に書き込んでいます。

——作品を買う時にはどういった基準で選んでいるのでしょうか。

田中:コレクターとしての私が買うと決めるのは、感動です。 ほとんどの場合、画廊に入っていって、作家の作品を見て、その中でも今日は一番いいのはこれ、というのがあったらそれを買う。判断は5分かからないと思います。全然迷いません。
コレクターによっては、作家の名前で選ぶ人もいると思うんですけど、私は作品だけを判断基準に買っています。中には、太田三郎さんの「Post War」という切手の作品のシリーズ(1992~)のように、新作が出たら買う、と決めている例外もあります。太田さんの作品は歴史の証人ですから。それでも基本的には、たとえ知らない作家でも作品を気に入ったら買います。「恒子さんは“青田買い”だよね」と言われたこともあるんですが、そういう時私は「だからこそコレクターをやっているんです、評価はオークションじゃない、田中恒子がつけるんです」と言っています。誰の何を買うかというのも、買う人の一つの表現だと思うのです。
直感で収集しているので、コレクションと呼ぶには系統性がないかなと思ったりもするのですが、それこそが現代美術の特徴なのだとも思っています。これだけ多様に展開しているのだから、現代美術を全面的に押さえることなど、誰にもできないのではないかとも思うのです。

——もともと美術や表現活動に興味はあったのでしょうか。

田中:興味はあったけれど、私はほとんど美術教育というものを受けていません。教育らしい教育といえば小学生の時に絵画教室に行っていた2年間だけ。当時は豊中に住んでいたのですが、みんなで宝塚ファミリーランドへ写生大会に行きました。私が描いた鯉が泳いでいる絵を、この「じゅじゅみ(滲み具合)がすごく良いね」と、当時絵を習っていた青野馬佐奈先生に褒めてもらいました。その絵が5年生の図工の副読本の表紙になったんです。
今思うとそれが原点だったんだと思います。人生を決めるような出会いを一つ聞かれたら、小学校5年生の時に、この青野先生に出会えたことですね。

田中:高校3年の時の進路調査で、美術大学に行きたいと言ったら、母に猛反対されて。反発しましたが、結局受験したのは大阪市立大学家政学部(現・生活科学部)住居学科。ここなら、家政学部だからといって認められました。

——実際に合格されて、大学に入ってみていかがでしたか。

田中:デザインの授業はあるし、絵を描くような授業もあるし、内心喜んでいたんですが、何より住居学の勉強って本当に面白くて、夢中になりました。大学を出た後は、京都大学工学部の西山夘三先生の研究室で研究生をしていたのですが、熱意が認められて文部技官として採用されたんです。当時は女性が採用されるのはとても珍しかった。その後、奈良教育大学の教員として採用されました。

——教育者としてはどのようなことを教えて来られたのでしょうか。

田中:当時、家庭科は男女共学ではなかったので、奈良教育大学での1日目から、目の前の学生たちに、「家庭科は生活を科学する本当に面白い科目だから、男女共に私と一緒に学びましょう」と言いました。それから、男女を分ける当時の学習指導要領はよくない、ということを講義したら、その話がすぐさま全学に広まってちょっとした騒ぎでした。今でこそ家庭科は男女共学です、と誰でも言いますが、最初そういうことを言っていたのは私を含め全国の国立大学教育学部で五人くらいしかいなかったのです。テレビ番組に出演したり、新聞のインタビューを受けたり、講演会で喋ったり、家庭科は男女共学にすべきだということを主張していました。そのうちに、一番の問題は、男子が家庭科という生活の学習を受けられないことが、彼らの「生活を良くする権利」の剥奪である、という私の論理に納得してくれる人も増えてきました。

それから、「住み方研究」といって、様々な住居空間の中に入り込んで住み方を調べることもしていました。そうして分かってくる日本の住宅政策の問題を考えているうちに、研究者として、実態調査だけでなく改善提案をしなければならないと考えるようになりました。平たくいえば、生き方の表現としての住居を考えることです。提案が実践できることを示すために、自分の住み方の公開もしてきました。

これからのアートとの関わり

——退職されてから、ご自身で作品を作られていますね。

田中:そう、今は表現者として、おばあちゃん作家をしているんです。昨年(2018年)には16回グループ展に参加しました。和歌山で寄贈した作品の展覧会があるまでは、コレクターとしての使命のようなものを感じていたのです。それが終わった後に、急に作りたくなってね、作家の人はこんなにワクワクした気持ちで作品をつくっているんだ、私も頑張ってみよう、と思って。

——表現者の立場になってみて考えるようになったことはありますか?

田中:アーティストの人は頭がこんなふうに動くんだ、 というようなことが分かりました。もちろん、大学の教員もおもしろくて、幸せな教員だと思っていましたが、作品をつくり始めてからはもっと面白い。人生の幸せって何だろうと思うと、「自分にしかできないっていうことがある」というのがわかったことですね。

——最後に、何か作家の方に伝えたいことはありますか?

田中:作品が私のところに来てくれてありがとうと思っています。
いろんな人に、作品を「売らないの?」とか「オークションに出さないの?」とか、いろんなことを聞かれましたけど、そんなことは全然考えたことがありません。売るくらいなら買わない。
作品からは、これ以上はない、と思うくらい喜びをもらいましたね。アートコレクターをしていて、どんなに人生が豊かになったか。作家さんとお友達にもなるし、作品を通して全然知らない人ともお話できるし、何より、作品と話し合える幸せ。
仮の宿りとして、作品たちが私のところへ来てくれた。そして田中恒子を通して、いろんな美術館へ、行くべきところへ行ってくれた、それが嬉しいんです。

※注1 「自宅から美術館へ 田中恒子コレクション展」(和歌山県立近代美術館、2009年9月8日〜11月8日)https://www.bijyutu.wakayama-c.ed.jp/exhibition/tanaka_tsuneko.htm
※注2 『自宅から美術館へ 田中恒子コレクション展』和歌山県立近代美術館、2009年
田中恒子(たなかつねこ) 
1941年、大阪市生まれ。関西の作家を中心とした現代美術のコレクター。1989年日本人現代美術作家の作品を初めて購入。2009年、和歌山県立近代美術館にコレクションの大半である1000点近くの作品を寄贈した。「自宅から美術館へ 田中恒子コレクション展」(和歌山県立近代美術館/2009)。住居学・教育学者。現在、美術館にアートを贈る会理事。大阪教育大学名誉教授。


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