Exhibition Review

2014.04.23

続 木内貴志とその時代 〜さようならキウチさん〜

木内貴志

Gallery PARC

2014年3月21日(金) - 2014年4月6日(日)

レビュアー:大久保美紀


木内貴志というアーティストは一貫性の塊である。意味難解で纏まらぬコンセプトを放り続ける作家はごく真剣である。

「One Cup Music Hour」(2013)はちゃぶ台の上に並べられた五本のワンカップと一本のウコンの力が紡ぐ音楽パフォーマンスである。アーティストは、六つの容器に入った液体の水位を変えて音程を調整することで、ベートーベン交響曲第九番第四楽章(通称「喜びの歌」)を奏でる。「水位を変える」などと言うとハタと洗練された香りがしないでもないが、要するに木内自身が五本あるワンカップを徐々に飲み込んで行くのだ。当然、パフォーマンスが進むにつれ、作家はグダグダになって行く。あるいは、泥酔する男の打ち出すワンカップの震動は、少しずつ「喜びの歌」に似ていく。始め騒音でしかなかった酔いどれ音楽は酒が進むに連れて生きる喜びの叫びに近づいて行く。

こんなふざけたパフォーマンスを見たことはない。第一に、部屋はあまりに日常的、ワンカップとウコンの力の黄金ペア、古めかしい丸いちゃぶ台と着古したTシャツ、ハチマキ頭で飲み耽る男というプロパティ全てが所謂「アート」と「西洋音楽」から遠い。聴くに堪えない打音が連なり、見続けるまでもないほど予定調和的なストーリーは無事終わりを向かえる。キウチさん、めでたし、めでたし、と鳴りやまぬ大喝采は酔いつぶれた男の夢中に送り届けられる。

リアル世界に鳴り響く音楽はいつまでも不完全だ。だが、ベートーベンの思い描いた第九がそれより完全であったと、一体誰が知れるだろうか。ワンカップがもたらす幸福感の中に作家が聴き惚れる脳内の響きが天上の音楽でないと、誰が断言できようか。木内貴志が世界に投げかけるものの多くはやけっぱちで、時に笑えないほど痛く、それでもなお勢いとエネルギーに溢れている。さようなら、キウチさんとういう副題は、彼がまだここを去らないことを意味し、だからこそ喜んで手を振りたくなるに違いない。

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