Exhibition Review

2015.01.08

Stolen Names

非公表

京都芸術センター

2014年12月19日(金) - 2014年12月27日(土)

レビュアー:ムラタオウミ


この展覧会、作者の名前も作品名もなんにも分かりません!出展者はひとりなのか、複数なのか。作品のテーマは…?
いつものレビューなら作者名から検索してねと済ませてしまうところを、作品ひとつひとつの描写から書き下すのか… これはひとまずお手上げです。

実のところ、出展者が不明では観たいのか観たくないのか分からない。そんな展覧会を観る予定は無かったのですが…
観たいのか観たくないのか、作者の実績、作品のテイストは事前に調べるので、いつもの私はそれを観る前に「知っている」。これは展覧会に限ったことではなく、その日に行く場所、乗換駅、ショップ、はじめて会う人のことまで「知っている」。この慣れ親しんだ前提を失う時、私は不安を感じるのか、それとも不満を抱えるのか…
「大義なき選挙」などありましたが、タイトルが無い、解説が無いことって、いまどきそうは無いのです。

さて、展覧会の内容については、優れて同時代的、さらに「前衛的」なおもしろいものであったとだけ、ご報告したいと思います。というのは、この展覧会が「名前」という「検索ワード」を隠すことによって「私がその場で体験すること」「我々がその場で共有すること」の純粋さや価値を倍加する企てであり、具体的にその状況を書き残すことには意味がないと考えるからです。あまり言われなくなった「一次史料を当たれ」という警句の意味するところに留まらず、あえて単純に言ってしまえば「知る」ことより「感じる」ことの清々しさは「その場」でしか享受し得ないのです。

またここで、名前による「検索」を「検閲」と言い換えれば、名前を隠す行為がそれぞれの作品(展示は複数の作品で構成されているように見える)の一部であったことが、よりはっきりと分かります。
昨年開催されたヨコハマトリエンナーレ2014では、テーマのひとつに「焚書」が掲げられました。それに留まらず「芸術」を巡る社会情勢(さらには社会全体の閉塞感)に目を向ければ、「検閲」とそれに対する危機感は強く同時代性を帯びてきます。あえて名前を隠し、検索=検閲を無化するこの企ては、当局の粛正に抗して作品を書き記さずに暗記したと言われるロシアの詩人、アンナ・アフマートヴァをさえリアルに想起させるのです。

最後になりますが、この展覧会、作者は非公表ながら主催者は「予言と矛盾のアクロバット実行委員会」とのこと。こちらはぜひ「検索」をお勧めします。

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