Exhibition Review

2014.10.17

xapaxnannan(ザパックス・ナンナン):私たちの未来のスポーツ

contact Gonzo

西京極スタジアム(京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場)

2014年10月15日(水)

レビュアー:片山達貴


Contact Gonzoの新作「xapaxnannan(ザパックス・ナンナン):私たちの未来のスポーツ」は今年で第5回目となるKYOTO EXPERIMENTの公式プログラムとして、収容規模2万人を超える巨大スタジアムでの上演となった。
個人競技、団体競技といった枠組みを一切排除した「全体」競技としての身体と行為の祭事的スペクタクルともいうべき本公演は女性3人組のインストゥルメンタル・バンド にせんねんもんだい とのコラボレーションによって実現したハイブリットなものだった。

にせんねんもんだいが放つ骨太で高揚的なミニマルサウンドをバックに11人の男女がプレーヤーとしてフィールド上で体と体をぶつけ合う。
ある一定のルールによって試合は進行されていくのだが、鑑賞者側からそのルールの深部まで理解することは不可能であり、単純にルールの存在を受け入れるしかない。
それは異言語を耳にしたときのような感覚と類似しており、たとえ理解不能の呪文のようにしか聞こえなくともそれはしっかりと意味をはらんだ言語なのである。
スポーツにおいて共通的なルールを言語化できない場合、行為は一気に儀式的なものとして錯覚してしまう。

試合はピンマイクを通してスピーカーから観客席へ声を届けることが出来る一人の特殊なプレーヤーをキーパーソンに展開されていく。
彼女によって詩的に意味づけされたプレーヤー達の行為の痕跡はフィールド上に不可解なシミとして、また聖域として確実に刻まれていく。その痕跡は彼女によってまたも詩的に意味づけされ、それらは自明の理として目的化しプレーヤーとフィールドの関係性は、より強固なものになっていき粘着度を増していくのだ。
その一種の連帯的な性質により行為は競技化されていく。

カメラのフィルム現像が元々そこに存在している像を顕在化していくものであるように、目的は行為の連続によって自然と像が浮き出てくるようなものなのではないか。
スポーツという抽象言語の中にはそういった高純度の創造性が自然と内包されているのだ。

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