Exhibition Review

2015.02.18

HUMAN EMOTIONS/ヒューマン・エモーションズ

山城大督

ARTZONE

2015年2月6日(金) - 2015年2月22日(日)

レビュアー:片山達貴


山城はつねに、映像の時間概念を空間やプロジェクトへと展開することで、その場でしか体験することができない《時間》を作品にしてきた。彼の追及する時間性は今回の作品でも、やはり描かれている。彼は本作について、「子どもというまだ社会をそんなに知らない人たちで社会をつくってもらう。いろんな人たちが混じって過ごす時間に、僕らがまだ見たことのない『社会』が生まれるかもしれない。そこに生まれる感情を撮りたかった」と語る。
作品の内容としては、会期直前に山城が用意したシチュエーションに1歳と5歳と7歳の3人の子どもたちを登場させ、複数台のカメラで記録したものを「再生可能な空間」として展示した映像インスタレーションだ。
彼が撮ろうとしているものは、社会そのものではなく、社会内で起こる複雑な感情の羅列である。その感情の中に、我々が鑑賞者として介入することによって、そこには批評空間が生まれる。つまりそれは、感情の中の理性の介入と呼ぶことができ、社会と感情 / 理性と作品 のふたつが同居した時空間が、山城がつくりだす世界なのである。映像作品を単なる映像としてではなく、空間として落とし込む山城のもつ作品スタイルには、ある種のツーリズム性がある。われわれは、そのツーリズム性によって作品完結のひとつの要素として関係させられているのだ。
また、空間に設置された照明は同様に映像の中にもあり、映像内での灯りの強弱が空間と連動する仕掛けになっている。それはまるで、右脳と左脳をつなぐ脳梁のように、感情と理性とを関連付ける媒介者として存在する。この照明の灯りによって我々は、レイヤー化された(作品)社会の、関係者となることができるのだ。
われわれは理性に対して感情を、ある程度距離を置いたものとして認識する。互いは、あたかも他者であるかのようにふるまい、しかし同時に関係し合いもする。
3人の子どもたちがつくりだす社会と、その中の「感情」について、鑑賞者はどう解釈するだろうか。HUMAN EMOTIONSは鑑賞者の存在によってはじめて自立するのだ。

Pocket