Exhibition Review

な

2016.03.29

奥村雄樹 個展 な

奥村雄樹

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA

2016年2月20日(土) - 2016年3月21日(月)

レビュアー:玉田雄一


下手なのかな、と思った。最初。
朗読下手なのかな、と。

違った。
“な”だけが強調されて読まれているのだ。
それが強烈な違和感となって、下手なように聞こえているだけだった。

この作品は約30分間の、朗読を主としたサウンドインスタレーションである。
小学校の教室ほどのスペースの真ん中にソファが1つだけぽつんと置かれており、部屋の四隅と真正面に設置された小さな5つのスピーカーで取り囲まれている。

そこで朗読されるのは宮内勝典の「グリニッジの光りを離れて」を原作とした自伝的な物語だ。
登場人物は主人公の日本人男性、河原温をもじった「河名温」というアーティスト、河名温の妻。
主人公の男性と、河名温の妻の名前をすっかり忘れてしまったけれど、主な登場人物はこの三人だ。
偽名で旅を続ける主人公が、河名温の作品<I MET>にたった一度だけ本当の”名”を記す。
そんな”名”を巡る物語が、がらんとした空間を埋め尽くしていく。

必然的に朗読の中には「河名温」の名前が頻繁に出てくるのだが、これが非常に引っかかる。
すべて「かわ”な” おん」と読まれるからだ。
頭の中がどんどん”な”に浸食されていく。
どうしても”名”というものを意識させられる。

そういえば同じ会場で同時に開催されているグイド・ヴァン・デル・ウェルヴェの個展にもどこか似たものが感じられた。
真っ暗な教会のような空間で展示されていた、作者の過去10年間の映像作品。
その中でアレクサンドロス大王の人生が語られていたせいだろうか。
生と死。死後に残るもの。名を残すこと。そんなことを感じさせる展示だった。
”名”というのはこの作品だけではなく、この会期のテーマになっているのかもしれない。

朗読は物語が終わった後、河名温の妻による作者、演者の紹介で締めくくられる。
非常に違和感がある。
それまで物語の一部だった河名温の妻が突然、中立的なナレーターに立ち位置を変えたからだ。
そして最後。
河名温の妻が、河名温の妻から声の出演者たる実在の人物に立ち戻り、自分の本当の”名”を告げて作品は終わる。

その瞬間、奇妙な浮遊感を覚えた。
信じていた土台が足下からふっと消え去るような、自分という存在が宙に浮いているような、そんな感覚。

物語の中で偽名の主人公と知り合った人が、その名前が偽名であると知ったら同じような感覚になるだろうか。
それだけ深く物語の中に取り込まれていたということだが、私の中でこの声の人物は河名温の妻以外の何者でもなかった。
それがこの瞬間、崩れ去ったのである。

「名前」という「その人」を表す記号として密接に結びついているものが、つながりを断ち切られて所在なさげにしている。
いや、もしかしたらそう思っていただけで、最初から結びついてなどいなかったのかもしれない。
何となく自分がふわふわしているような、世界がふわふわしているような、そんな感覚を引き摺りながら展示会場を後にした。

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