Exhibition Review

2023.11.04

井上裕加里 個展「Women atone for their sins with death.」

井上裕加里

KUNST ARZT

2022年7月30日(土) - 2022年8月7日(日)

レビュアー:雁木聡 ( 31歳) 教員


 
 イラン、あるいはイスラームを制作の起点にしつつ、女性を取り巻く経験を視覚的に語り直すこと。この困難な旅路への出発が、本展の主眼であったように思う。
 
 本展では、作家が今夏のイラン滞在を経て制作した作品が展観された。その中心に据えられるのは、中東諸国で流通するフッラ人形(バービー人形に類似した玩具)を用いて、イランやパキスタンで「名誉の殺人」の犠牲となった女性たちの物語を再構成した写真連作である。SNSにアップロードしたダンス動画や男女関係のゴシップなどの「ふしだらな」行為が明るみになり、家族や親族によって殺された女性たちの人生を、一見するとポップでエキゾチックな煌きを帯びた人形遊びによって描出している。それらは、男性の人形と一緒にバイクに乗る場面であったり、投稿された自撮り動画の再現であったりする。それぞれの作品のキャプションには、モデルとなった女性の殺害に至る経緯が解説されており、人形によって匿名化された女性が、かつて個々の名と生を持つ存在であったことを強く印象づけられる。

 この連作においては、子どもたちの夢や憧れ、そして親の願いを託される存在であるフッラ人形と、今なお起こり続けている女性殺害の現実とのあいだの途方もない距離が、女性の置かれた抑圧的状況についてさまざまに思考をめぐらす余地を生む。ただ一方で、この距離があることによって、作品が過度にジャーナリスティックになることが回避されてもいる。すなわち人形という、何者でもありうる/何者をも表象しうる存在を媒介することで、女性たちの物語を完全に他者化する態度は退けられ、鑑賞者が自分自身の立ち位置を見つめなおす契機が生まれていた。

 イラン社会における女性の地位について、安易な単純化や他者化を迂回しつつ視覚的に語る姿勢は、展示の全体を通して見てとれた。映像作品《Let’s take off your sally like me!》は、作家自身がテヘランの公園で毎朝おこなわれている「体操」ーーイランにおいて禁忌の対象であるダンスをカモフラージュする行為にも見えるーーに参加する様子を収めた動画である。作家はイランの服装規程に従って全身と頭部を覆う衣服を身につけているが、体操が進むにつれて布がはだけ、髪や肌が露出されていく。それを見かねた周囲の人が注意し、布を纏いなおすやり取りも収められている。これは何も、単なる旅行者の悪ふざけではない。禁忌に抵触するギリギリの線を探るような作家の姿は、「体操」と称してダンスを踊り、洋楽を聴くイランの人びとの狡知と重なり合う。

 映像作品《Asian kitchen – Iran and Japan -》では、二つのモニターが並置され、右側の画面には作家のイラン滞在時のホームステイ先の女性が、左側には作家の祖母が、それぞれの家庭料理を作る映像が流れている。まったく別の料理を作る両者だが、混ぜる、丸める、煮込む、食器を洗うなど、同じ種類の作業がシンクロするように編集されている。画面上には時折り、たとえば「男がスーパーに買い物に行くことはほとんどない」といった内容の字幕が表示される。どちらの国の女性の発言であるか(あるいは、どちらでもないか)は、ついぞ明確にされないままである。

 こうして、今までも、これから先も交わることのないであろう二人の女性の営みが、驚くほど近しいものとして鑑賞者に示される。この映像と同じ展示室内には、イラン製のピンク色のおままごとセットや、ミシンのおもちゃなどが並べられ、傍らにはフッラ人形が鍋をかき回し、掃除機をかけ続ける電動の作品《Shadow workers》が展示された。この既視感に満ちた光景を、イランという国家、あるいはイスラームという宗教の特殊性に帰することはできるだろうか。男性不在の空間で、身体に染みついた家事労働を淡々とこなす女性たちは、彼女たちの経験を遠い国の話として消費しようとする欲望をかわし続けているように見えた。

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