Exhibition Review

2019_10

2020.01.10

Structure and Sound -Perception of Structure by Sound- ストラクチャー アンド サウンド -音による構造の知覚- 展

前林 明次、ニシジマ・アツシ、マーティン・リッチズ、佐藤 実

京都精華大学ギャラリーフロール

2019年9月13日(金) - 2019年9月29日(日)

レビュアー:植松由希子 (37) 会社員


 

本展覧会は昨年行われた「Obsession Conception Possession」と題する展覧会の続編となる。今年はサウンドアートの分野で主に活動する作家4名による作品を展示する。

 床に座り作品を鑑賞しながら、会場に置かれたステイトメントの印刷物を読む。空間に流れる音の心地よさは、作品の周りでパンを食べたりコーヒーを飲んだり、本を読んだりしながら何時間でも過ごすことが、この作品を鑑賞するのにはとてもぴったりな過ごし方だと思う。 鑑賞していたのはニシジマ・アツシ氏の作品「Sympathetic wiretap」だった。フロアにピアノ線と空缶で作られた装置が並ぶ。それは1枚のCDから無限の音のバリエーションを生みだす装置である。展示には8台が並び、新しい音響空間を再構成する。作品を制作していた当時(1996)、ニシジマ氏の関心はリサイクルだった。よりよい社会を作るために考え出されたリサイクルについての思想は、CDの音源を解体するための方法へと応用される。音源を構成する音の固有の特性を見極め、共振させる力を加えて、音を分離し、抽出する。そうした抽出によって循環された音を、さらに再び組み合わせると、心地よい1つの空間が出来上がる。解体される前の曲は「Rhapsody in Blue」だったが、会場に流れる音にメロディが持つ様な物語性はなく、音自体に理想の押し付けを感じさせない。ユートピア世界にいるような感覚を持ちはじめていく。しかし、その背後に明確なリサイクルという思想が隠れている様に、わかりやすさではない音が持つ構造それ自体が思想でもあることにも同時に気づくのである。

 去年から引き続き展示をする佐藤実氏は、自身の関心である物理学から自然現象を探求し作品に反映させる特徴を持つ。今回の作品は1つは錆、もう1つは磁気モーメントを考察する。文字だけを錆びさせようとを試みた作品「Land of Corrosion」は、金属に書かれた文字だけを錆させようと試みた結果を提示する事で、私たちの住む世界では、生き物が生きるために必要不可欠な酸素があり、しかしその酸素はあらゆる金属に結合し、純粋な金属に触れることはない、腐食した土地であることを再認識させる。

 一方で、錆はすでに実用化された磁気記録媒体としても利用される。カセットテープはその代表となる。しかし、作品「Rust Capactitor」で展示された錆の音は、製品としての整った音ではなく、その錆の不安定さを強調し、説明する。誘電性電子を溜め込み音を鳴らすこの作品は、金属が錆びすぎると鳴らなくなる。実用品の安定さによって気がつかない仕組みを、不安定さによって表現する。なぜ音が鳴るのかと、なぜ鳴らなくなるのか、その仕組みを追求することが等しく奥深いことを1つの作品で表す。

 作品は科学的事実そのものを素材に含みながらも、作品を通して鑑賞者が自然現象を知る過程を演出することで、すでに存在する世界の見え方をエモーショナルに転換をする。

 佐藤氏のもう1つの作品「Disturbance of Magnetic Moment Switching Apparatus」は光で表現された作品である。磁性を電子のレベルで考察し、熱で磁性や電子のスピンを操作して、電子という未解明の構造を光に置換することで可視化させる。作品を解説するテキストは、SF小説の断片を読んでいるような手つきがある。目に見えない世界を、歴史を遡って人がどうやって知ろうとしていたのかが書かれ、まだ本当は誰もわからない自然現象について、作品を通してわかったような気にもなるのも不思議だ。

 佐藤氏の作品は、自然の顕現そのものを扱う意識と、人類が古代から積み重ねてきた自然への観察や洞察を探求する過程の2つの要素がある。自然現象に介在する作家の演出が興味深い。

 ある構造を光に置き直す試みは、今回展示されているニシジマ氏のもう1つの作品「Blue sonic」にも通ずる。それは、音の構造を光の構造に置き直す。人の持つ声の、言葉の意味ではなく間、抑揚、声質を表現する。音にあり、光にない、ないことで新しく起きる意味を提示する。音を選択したり、光を選択したりする、これらの選択もまた、最もミニマルな構造の置換の様にも思えるおもしろさがある。

 会場フロアの真ん中にある機械のような作品群はイギリスのマーティン・リッチズの作品である。「 The Thinking Machine」は三進法のコンピュータによってゲームのように球が転がり音を鳴らす。「Singing Machin」の母音で歌う奇妙な声は耳に残る。時計作品「Horizontal」は、実験的に制作を続けているシリーズであり、深呼吸と同じ5秒で動く。一見して大掛かりな機械装置である作品は、コンセプトが機械の形態や音を伴う可視化された動きになることで、実際の複雑な構造とは裏腹に、今回の他の作品の中ではむしろわかりやすさを感じさせていた。

 前林明次氏のサウンド・インスタレーション作品「Walks with a metronome in Okinawa」は、時間を伴うにつれて変化する作品への理解が、先に紹介したニシジマ氏のインスタレーション作品とは全く異なる。 前林氏の作品は、円形に6つのスピーカーが設置され、その中央に置かれた椅子に座り音を聞く作品だった。一台のメトロノームの実物が空間に置かれている。スピーカーの音が全て消えている間は、そのメトロノームの音だけが響く。そしてスピーカーから音が流れはじめる。初めステイトメントを読まずに聞くと、メトロノームの音とともにフィールドレコーディングされた音は、飛行機の音や英語が聞こえてくる。メトロノームのズレていく音にも心地よさを感じ、どこか旅行先の音を聞いているのかと思う。それは郷愁さえ感じる音だった。それがステイトメントに目を通すと、一転する。作品の音が沖縄の音、騒音であることを知らされる。ステイトメントを知る前の、音の純粋な心地よさの感覚を味わった最初の8分間は、作品において最も貴重な時間である。知ることにより引き起こされる感覚の変転は、8分間が繰り返される作品の構造に大きな意味を持たせる。それは、聞こえてくる音としての時間、作品と現実の狭間を行き来する時間、または現実にリアルタイムに起きている問題を孕んだ時間、あるいは、時間そのものとしての時間。時間を追うごとに多重化していく意味に圧倒させらるのだ。

 本展覧会は本文冒頭にも書いた通り、昨年企画された展覧会の続編に相当する。多少の変容はあるものの一貫した独自性のあるコンセプトを提示する、継続した企画展覧会が行われる事に、多様な意義の創出が期待される。コンセプトは昨年の「自己に立返り、世界と繋がるプロセスを再考出来る機会」から、今年の「作品の根幹をなす構造と音の関係から世界を捉え直す機会」へと移行する。作家の持つ背景から作品の持つ背景へと視点をずらし、世界を探ることを促す。一貫したコンセプトでありながら、実際に展示された作品は、それぞれに異なった構造が様々なレベルに存在する。さらに、作家ではなく作品に対峙した時、鑑賞者は作品ごとにバリエーションに富んだ「構造」を、より自由に発見していくことになる。それは本展覧会に立ち現れる魅力ともいえる。

 

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