Exhibition Review

2016.03.21

志村ふくみ -母衣(ぼろ)への回帰-

志村ふくみ

京都国立近代美術館

2016年2月2日(火) - 2016年3月21日(月)

レビュアー:中井大揮 (25) 会社員


天色・朱茜・高麗茶、白橡に若紫…このように聞いて、即座にこれらの色彩を的確にイメージできる人は、そう多くはあるまい。

少なくとも、我々の現代の日常生活の中で耳にする機会は、滅多にないであろう。「伝統色名」と呼ばれるこれらの色名は、

長い長い歴史の中で人々と共にあり、親しまれてきた、いわば「日本の色」である。それが志村ふくみの作品には、確かにあった。

染色家として、また紬織の名匠として知られる志村の作品は、志村自身が自然に向き合い、草木から絹糸を染め上げるところから始まる。

それは、たとえ同じ植物からであっても、二度と同じ色は得られない、まさに一期一会の作業である。こうして引き出された「日本の色」は、

優美で優しい温もりを帯び、ある種の懐かしさを伴って、見る者の心の襞に沁み入るのである。

また、各々の作品には、タイトルとして情景や古典文学ゆかりの人物名などが付けられており、それらは様々な想像を我々に促してくれる。

例えば、深い紺色と鮮やかな黄色が印象的な《青湖》は、紺碧の空に映える月を、さざ波立った湖畔が映す叙情的な光景を見事に表現していたし、

浅葱色と浅緑で表現された《柳》には、水辺の柳に吹き抜ける風さえも想起させる力があった。

織物という限られた丁字型の空間で、限られた色彩のみを用いて表現された抽象的な情景は、まるで薄くかかった靄が晴れるかのように、

心象風景として、今一度、我々ひとりひとりの心の中に鮮明に立ち顕れるのである。

古来、貧しい家庭の母親が、ありあわせの絹糸で織った織物を「ぼろ織」というそうで、今回の展覧会のテーマにおいて、志村はそれに「母布」という字を当てている。

おそらく、彼女はそこに母親が我が子に向けるような温かい眼差しや、思いやりを重ねたのであろう。

会場である京都国立近代美術館を出る頃には、志村の繊細で豊かな表現のみならず、その織物に込められた温かい精神性にも胸がいっぱいになった。

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