Exhibition Review

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2017.03.03

高江を見つめる写真展

平井茂

すみれや

2017年1月22日(日) - 2017年1月30日(月)

レビュアー:林葉月


 

「沖縄の米軍基地問題」と聞いた時に「ああ、あの海の綺麗な小さな島の可哀想な出来事。残念だけど仕方ない。」と思う人はどのくらいいるだろう?

「沖縄の米軍基地」はあの南にある小さな島々の人たちの問題であり、本州に住む我々には遠い話であって「残念だけど仕方ない」それで本当にいいのだろうか?

2016年12月に高江を訪れるために沖縄へ行ってきた。実のところ何年も前から「沖縄の高江が、酷いことになっている」とは聞いていた。しかし東日本大震災を経て京都に移住してきた身にとっては、なかなか海を渡るような資金も時間もひねり出すことができずにいた。左京区にある「すみれや」の春山さんは自分も関心はあるが店を持っているのでなかなか現地に足を運ぶことはできない、が資金なら提供できる。私のように資金さえあればなんとか現地に行ける人もいる。そこで「高江に行ってお帰りなさい会」ではカンパを集め、行ける人に交通費として渡すというプロジェクトが立ち上がった。

そこで見てきたもの。不当に拘束され続けるリーダー的存在の山城博治さんが留置されている名護署へ毎日集まる人々。杖をつきようやく歩けるような状態で早朝に那覇出るバスで高江に通うお年寄りが何人も、いや何十人もいた。遠く北海道から本州各地から高江に関心を寄せて集まる人たちもまさに老若男女。これが巷の一部で言われているような「プロ左翼」だとは到底思えなかった。集会で前に立ち、慣れないマイクで自分の言葉でここに来た理由をつとつとと話す人たち。沖縄の陸上戦を経験し、あのような辛い出来事を子供や孫たちに残してはならない、と決死の覚悟で足を運ぶ人たち。

沖縄高江で現場を見てきた私が見た平井茂さんの写真には、高江での強行工事に対峙する反対派と機動隊の両者のまなざし、ざらざらとした土、高江の森に住む小さな生き物たち、光と影、が目の前で起きたこととしてしっかりと記録されていた。年末に行われた北部演習場返還式典に向けて、急ピッチで進められたやんばるの森の伐採、ずさんな作業、反対する人たちの強制排除、それでもここをどうにか守りたいと集まる人々。
沖縄の各地から、日本の各地から、老いも若きも、集まってきた人たちが必死で森を守ろうとしている姿。それを排除する人たちの鉄仮面のような顔。

それらの写真を見て、また改めて私は思う。

毎朝のように開かれている集会での話を、工事現場の先頭で見張り役として働いている警備会社の人はたくさん聞いている。「ああ、こんな現場、早くやめたい」と思っている人もいるのではないか。賃金のためにここに来たけれど、本心からこの仕事がやりたくて、ここにいるわけじゃないであろう人たちの顔の曇天のような表情から見て取れる「諦め」と本心からこの場所を守りたくてこの場所に集まっている人たちの顔に否が応でも現れる「不屈」の対比をよく捉えている。その視線がどちらかを斬るわけでもないのが伝わってくる。

彼らは、私たちは、何と闘っているのだろう?

私は「私たちが持っている良心を失うこと」と闘っているように思った。
誰しも、生まれてきた時はピカピカの光そのもののような赤ちゃんだ。
生まれた時から、強欲だったり、罪人だったりする人なんていない。
悪いことを心の底から望んでなどいないのだ。
誰も誰かを殺したり、誰かに殺されたりしたくはない。
豊かな森を壊したくなどない。
違うのだろうか?

日本における米軍基地は今そのほとんどが沖縄に集まっている。

第二次世界大戦の終盤、沖縄の陸上戦を許すことで本州へ侵略されるのを引き延ばした日本は今
沖縄に多くの米軍基地を押し付けている。
沖縄の人たちは、もう嫌だうんざりだと立ち上がった。
民意で示した。選挙で示した。県知事も拒否した。
なのにどうしてそれらを全て無視して強行しているのだろうか?

これは沖縄という小さな南の島の人たちだけの哀しい出来事なのだろうか?

私たち本州に住む人たちには関係のないことだと言えるのだろうか?

高江の瑞々しくてゆったりとした空気を吸い込んだ写真たちが私に問いかけてきたように思う。

そしてあの沖縄の高江に立った日に降った雨のことを思い出した。
それは優しい雨だった。
水は巡るという。
この雨は、いつか、この島でおじいおばあが流した涙だったかもしれないと思った。
私は、ずっと濡れたまま、立ったまま、優しい雨を浴びていた。
頬で私の涙と合流して、いつまでもこの星を巡る、雨はとても柔らかくて温かかったように思う。

沖縄の人たちの「命がけ」が写真に宿っていた。

本州ではめったに見ることのない本当の「命がけ」の重みを私たちはきちんと受け止めて
自分の行動に活動に言動に表現に繋げていかなくてはいけないと思う。

沖縄のあの森を壊しているのは私たちが選んで組織された日本政府だから。
沖縄のあの美しく澄んだ海を埋め立てて米軍に提供しようとしているのも。

選択肢は我々の手中にあると知れば、選ぶことができるはず。
私たち一人一人にも出来ることがあるのだと思う。

まずは知ることから。知ったことを伝えることから。
そうやって始めることが波紋のように広がっていくことを願っているのが
よく伝わってくる写真展だった。

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