Exhibition Review

2017.02.17

日本の表装―掛軸の歴史と装い

京都文化博物館

2016年12月17日(土) - 2017年2月19日(日)

レビュアー:木村晶彦 (37) ライター


 

掛軸は添え物ではない。立派なアートだ。絵や書とセットで愉しむものだ。恥ずかしながらその事実を、私も今回初めて知った。ともすれば、脇役扱いされがちな掛軸が、この展覧会では主役である。
額に入れず軸に巻き取る。巻き取られた書画を広げ、壁に吊るして展示する。軽量で収納しやすく観て楽しく、保存性にも優れた掛軸と表装。西洋では見られない、東アジア独自の形式だ。

古の人々は、掛軸に霊力を感じたという。僧侶の重病を身代わりで引き受けたという掛軸の伝承。見た者は皆災いを受けたという禍々しい掛軸の実物。
このうち後者に当たる『小野篁像』は、物言わぬ佇まいで不気味な妖気を漂わせる。原本が失われた模写とはいえ、観覧者である我々は、篁像を目にすることが叶わない。展示室でも伏せて折り畳まれ、注意深く包装紙にくるまれていた。凶事に巻き込まれそうな胸騒ぎがして、思いがけず私も身震いした。

装飾性に富む軸の表装は、図柄一つで書画の印象を変えてしまう。表装の表地がたびたび張り替えられたのは、メンテナンスの一環であると同時に、所有者や収集者の美的センスが、その都度反映されたからだ。洋服に小物を合わせるような感覚で、書画と表装のトータルコーディネートを楽しんだ。表地の端切れを保存したサンプル集もあるほどだ。なんと風雅で高級な趣味であろうか。

一見平面的な掛軸も、実物を目の当たりにすると厚みがある。書画には上質の裏打ち紙を、幾層も折り重ねて裏から当てる。横たわる涅槃仏を、金糸刺繍で隙間なく彩って表現した『刺繡涅槃仏』は、軸の表装から浮き出して見えるように縫われた逸品。分厚くて巻き取れない涅槃仏本体には紐をつけ、表装に装着して展示する。意外とも思える掛軸の強度と耐久性が、立体展示を可能にした。これぞ江戸時代の3Dアート。

その一方、掛軸をしつらえるに際しては、作法や形式が決まっていたため、心得を記した専門書も著された。掛軸の作者や所有者のみならず、軸に合わせる書画の作者にとっても、扱いを知っておくことは重要だった。個性的なファッションを楽しむには、基本的な約束事を習得しておかねば始まらない。前衛芸術の担い手が、デッサンや塑像の基礎を身につけているのと同じである。基礎教養は芸術性に説得力を与えてくれる。

掛軸は歴史の証言者ともなる。攘夷派の長州藩士が鉄砲で撃って、気勢を上げたとされる『人体的異人図』には、生々しい弾痕が残る。曰くつきの異人図に、幕末の動乱で命を落とした藩士の遺族が敬意を表して、わざわざ軸に仕立てたという。草莽の志士なくして維新は成らず。明治の世にも長州人の魂は生きていた。
また賞状も軸装された。明治天皇が視察した小学校の授業で、優秀な成績を収めた八歳の少年がいた。彼が京都府から賜った賞状も、授業で解いた化学や地理の問題と一緒に貼り付けられ、表装が施され掛軸となった。時に明治10(1877)年。頭脳明晰な秀才少年・大橋重之助君に、いかほどの期待が寄せられたことか。彼のその後が気になるところだ。

極め付きは、隠れキリシタンが守り通した『マリア十五玄義図』だ。絵に描かれたマリアや聖人たちは、往時の姿を留めている。しかし絵を縁取る表装はボロボロ。禁教ゆえ、満足な修理もままならず、信徒たちが反故紙(ほごし)という紙を継ぎ足し、裏打ちしては体裁をどうにか保って、子々孫々にバトンをつないだ。打ち捨てられたかの如く、不格好に膨れ上がった紙の巨塊が、信じ続けることの重さを、鑑賞者の心に訴えかける。胸が熱くなる展示であった。

事ほど左様に、掛軸も表装もまた傷む。書画と同様、傷めば修理が必要になる。裏打紙は状況に応じて貼り替えられる。そうした修理技術に焦点を当てた、同時開催の展覧会「日本の表装―神と絹の文化を支える」についても、本レビューに先立ち評しているので併読されたい。

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