Exhibition Review

2017.11.07

長谷川由貴展 HASEGAWA Yuki "Untold Symbol"

長谷川由貴

ギャラリーモーニング

2017年10月3日(火) - 2017年10月8日(日)

レビュアー:かとうたかふみ (31) 研究員


 ドナルド・デイヴィドソンという哲学者が書いた、「エピタフのすてきな乱れ(A Nice Derangement of Epitaphs)」という題名の論文がある。この題名だけから、すこし想像してみてほしい。エピタフ(墓碑銘)がすてきに乱れているというのはどういうことだろうか。墓碑への文字の刻み方が良い感じに規範的慣習から外れているということだろうか。カリグラムのようになっているとか。あるいは、経年変化によって風化した碑文に苔が生えたりしていて、その雰囲気が絶妙なのだろうか。想像は膨らむ。
 種明かしをすると、この題名はR・B・シェリダンの戯曲『恋がたき』に登場するマラプロップ夫人の台詞を踏まえている。夫人は知ったかぶりをして難しい言葉を多用するのだが、しょっちゅう言い間違いをする。それで彼女は、「エピセットのすてきな配置(a nice arrangement of epithets)」と言おうとして、前掲の題名のごとく言ってしまう。エピセットとは人や物につける枕詞的な形容詞ないし渾名のようなもので、例えば「獅子心王リチャード」の「獅子心王」がそれに当たる。というわけで本来、夫人の発言は、「適切に枕詞をつけること」くらいの意味を表そうとしていたのだ。
 さて本題。今回の出展作品はいずれも植物を描いた絵画だ。多くの場合、花が前景に描かれており、美しく配置された花のある情景ではなく、あたかも原寸大の実物の花そのものと対峙しているような気持ちにさせる。出展作品全体に一貫するテーマは作家のステイトメントにおいても明快に示されている。つまり、植物学や園芸学を通して人間に手懐けられてきたはずの植物たちが、不意に人知外の相貌を見せる瞬間があり、その瞬間に作家が抱いた畏怖の感覚を、作品で掬い取ろうとしている。自然を手懐けることは、近代科学の大いなる野望の一つだ。その際には、対象に名前をつけ、分類し、理論化する、あるいは、物語に落とし込む。つまり人間は「エピセットのすてきな配置」を進める。しかしそれは不意に乱れることがある。ちょうど、意図せず言い間違いをするときのように。そして言い間違えた言葉が、予期していなかった相貌を示すことがある。そうして、その「すてきな乱れ」から新しい語彙が生まれる。
 本展の作品にはそれぞれに凝った題名が付いている。例えば《深い夢》《アドニスの死》《月のない夜》といった具合だ。私は、作品名も一種のエピセットと見なす。ただし、ここでは科学とは別様の語彙によって「エピセットの配置」が行われている。そして作家本人も意識している通り、特に花というモチーフは、死と転生のイメージと不可分である。はかなさの象徴であり、死者への手向けに用いられる。さらに、命を落として花に転生するエピソードは、ギリシャ神話では定型の一つだ。花の名前もエピセットだ。そしてこれは時にエピタフでもある。例えば “narcissus(水仙)”は美少年ナルキッソスの悲運を物語る。それと同様に、作品名を得た長谷川の絵画は、エピタフとして異界からの声を囁く。ここに、人間の語彙の改変をせまる、恐ろしくも奇しい「エピタフの乱れ」が顔を覗かせている。

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