Exhibition Review

2022.03.20

原田裕規「Unreal Ecology」

原田裕規

京都芸術センター

2022年1月29日(土) - 2022年2月27日(日)

レビュアー:小倉 達郎 (27) 学生


 

カメラは彼岸の荒野を彷徨し続け、写真は不意にめくられてしまう。フレームアウトした行為の主体へと自らを投影すること能わず、私たちは画面にあらわれるイメージをただ傍観するほかない。あるいは長尺の映像作品という形式もまた、到来せぬクライマックスを待ち続けるだけの不条理な鑑賞を要請する。原田裕規の近作はそのようにして、鑑賞者による介入の試みをかわし続けてきたといえるだろう。私たちは招かれざる客にすぎないのである。

「心霊写真」の他にも、E・ローランによるダイアグラムやC・ラッセンをめぐる状況など、原田の関心は大文字の美術に対してその外縁に存する対象へ向けられる。それらが自律的に形づくる表象の生態系をモチーフとして扱いながら、原田は「イメージの倫理」を問い続けてきたという。その手になる作品を前に私たちが持つべき倫理観とは、さて、いったいいかなるものであろうか。

三つの展示室のうち一室には、新作が展示されていた。8分間ほどの映像作品においてパフォーマーが「湖に見せ」ているのが、しかし実際には「絵」でなく巨大な印画紙であったことをキャプションが説明すると同時に、原田の作品はこちらへと向き直る。傍の壁に掛けられたタイトル未定の平面作品こそは、おそらく現像の工程を経たあの印画紙なのであろう。長時間にわたる感光によって得られたイメージはまったく不明瞭であるが、ついに私たちは能動的に見ることを許されたのだ。

ふたたび掲げられた絵を見ながら、私たちは、きわめて主観的なその行いをみずから問いたださねばならない。私が見ているということ。私にとってリアルたりうるのは、ただそれだけなのだ。そして、そのとき原田の実践もまた、見ることの考察を通して個別の存在を確かめるための試みとして捉えなおされるだろう。時に不条理なイメージの濁流に呑まれながら、私たちはあらためて、見えるものを見ることから始めねばならないのである。

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