Exhibition Review

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2019.10.25

「二つの部屋、三つのケース」 ケース1 立ち会う アーティスト関川航平「散歩られ」

関川航平

京都芸術センター

2019年8月27日(火) - 2019年9月5日(木)

レビュアー:植松由希子 (37) 会社員


 
展示物はギャラリーの壁に直接書かれた文章、または言葉だった。

鑑賞者は読み手となり、文章の中に物語を求める。南の部屋の東の壁に書かれた一文を見つける。「歩く男は、男の東側の横顔を海に見られている」この文章に、展覧会タイトルについての説明文を思い出す。「それがそれ以外の周辺と区切れのない風景として散歩をしているあなたを見送る時、風景の中の何かは散歩するあなたによって散歩られているのか。」

 会場の壁には横書きの文章が何本も平行線を作って流れる。一つ一つの文章が左から右へ、それぞれが意味の支流となり、直線を作っている。平行線の上下は、文章の意味の繋がりがある一文もあれば、一つの言葉の連想から派生して立ち上がった一文もあり、全くどこからやってきたのかわからない一文のもある。そしてそれらの直線が書かれたギャラリーの壁は長い。文章を読み、追いかけ、文章同士の繋がりをとらえようと、鑑賞者は会場を行ったり来たりする。会場を散歩する。展示された文章は鑑賞者によって散歩られていく。

 そうして書かれた(あるいは読まれる)物語には、藤沢くんや久保さんや窓婆や長い毛の白い猫が登場する。夏物語であり、回想や風景や出来事が連なる。同時に、不便さを伴いながら鑑賞者の元に集められていく物語は、文章が読み混ざっていく過程でまっすぐな糸が絡み合うように、目の前の文章に誘われた、鑑賞者の勝手な記憶が引き出されて混ざる。

 壁の文章は所々、並列や誘導線、余白などにより、パフォーマティブに言葉が配置される。記号のような言葉は意味を読み解こうと、鑑賞者は立ち止まる。立ち止まることも散歩である。言葉によって鑑賞者は立ち止まされる。文章の続きが、ブロックを積み上げるように何段も同じ出だしの短文で並ぶ。分岐点となる名詞に対して、支える助詞が変わり、その後に続く形容詞や動詞が変化する。並んだ言葉の繰り返される言葉の部分は視覚的形式に強調の効果が増すが、その先に続くいくつもの言葉の変化は意味をぼやかす。そうした同型と変化によりモダニズムと抒情が同居した文章は、文章における「ある瞬間」を何度も捉え直そうとする感覚を読み手に与える。 

 鑑賞者は言葉の伝達機能に、的確な文章の長さや表記や正しい文法という便利さを求める。言葉は伝達機能を求められていた。しかし、展覧会タイトルの「られ」の受動態が本来の使われ方とは異なった使い方をするように、展示された文章の言葉は、伝達機能をわざとずらす様に書かれている。言葉の主体が不明瞭になっていく。言葉を読む主体(鑑賞者)、言葉を書く主体(作家)、言葉によって書かれた主体(物語の登場人物)、言葉そのものの主体(言葉の存在)が不明瞭になっていく。曖昧になり、そのうちそれぞれが勝手に動き出す。言葉を通して展覧会の空間に、主体の異なった能動態、受動態、そして中動態が混在していく。

 壁に書かれた物語は、南の部屋の北の壁の左端から始まり、ギャラリーの東南西の壁を一周したあと、北の部屋の西の壁へと続く物語へたどり着く。鑑賞者はキャッチャーがいたかもしれないグラウンドを、散歩しながら移動する。

 北の部屋の東の壁はタイポグラフィの要素が一見すると極めて強い。タイポグラフィの表現方法は、言葉の持つ意味を形式化し、言葉で絵を描く。具象を抽象にした言葉を再び抽象から具象にする。植物のシロツメグサが生息する具合に、壁一面「シロツメグサ」の言葉で埋まり、群生する。まばらに白い空白がある。その白い空白を見ていると、白から茶色い土になり、周辺の黒い「シロツメグサ」の言葉は、いつの間にか緑色に色付けされて見えてくる。すると、壁だったものは地面となる。歩きながら食べていたパンをシロツメグサの上で座って食べるとピクニックになる。しかし、あらゆる主客の関係性は展覧会の空間の中ですでに混乱している。空間に漂う楽しい時間は、だんだんと不気味な物語を想起させる。

 そのシロツメグサの文字の詰まった壁の下のどこかに、猫の死体が埋められているような気がしてくるのである。その猫は南の部屋から北の部屋に作家や読み手や言葉と一緒にやってきて、北の部屋の南の壁で死んだことになった、長い毛の白い猫のことだ。作家は、毛の長い白い猫の死体を隠すために、シロツメグサという言葉をひたすら壁に書いた。言葉によって書かされたのだ。

 そして、会期が終わった今では、壁に書かれた物語は、一文字も残ることなく全て消された。

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