Exhibition Review

2015.08.26

第21回 京都国際子ども映画祭/京都文化博物館 フィルムシアター・別館

京都文化博物館

2015年8月1日(土) - 2015年8月9日(日)

レビュアー:岡上聡良


ひさしぶりに映画を観て気持ちが動いた。しかしそれは、莫大な製作費のもと大々的に宣伝されているような話題の映画ではなくて、子ども映画祭でのことだった。

普段なら通り過ごしてしまうはずだった。会場から溢れるなにか強い思い入れのようなものに惹かれて入ったのだが、その日はたまたま京都国際子ども映画祭の最終日だった。鑑賞したのは1分から5分程度の短編作品で、大人が作った作品、子供がワークショップで作った作品、大正時代から昭和初期のおもちゃ映画と呼ばれるものが、それぞれ部として構成されていて、全部で約1時間半くらいだった。

子供がワークショップで作った作品は、シンプルなのに作る楽しさや熱気がたくさん詰まっていた。どの作品も見ていて楽しいものだったが、個人的に深く印象に残ったものをいくつか書きたいと思う。

「へーんしん」は、「ぐにゃぐにゃぐにゃ~!」という掛け声とともに、紙粘土のようなものがどんどん形を変えていく作品だ。子供のころ、小さな消しゴムが遊びの空想のなかでは乗用車になっていて、そのうち消防車になり、飛行機になり、ロケットになってく、そしてもちろん一緒に遊んでいる相手もそれがわかっていて、どんどん話が広がってく、あの感覚がそのまま映像に落とし込まれていた。いつしかそういう遊びはしなくなっていたし、目の前で子供たちがそうやって遊んでいたとしても、見ているだけで参加しないだろう。しかし映像にしてくれたからこそ、自分もそこにいて遊んでいるような感覚にさせてもらったのである。楽しかったし、他では得られない懐かしさがあった。

同じように、「ちょうドいなか観光」も、遊んでいくうちに話がどんどん発展していく感覚がそのまま切り取られていた。”ちょうドいなか “に穴を掘ったら温泉がでてきて、というところから始まり、その後はいわばごっこ遊びそのまま、その発展していくエネルギーが一気に封じ込められた、元気一杯のやんちゃな作品だった。

「ながいながーいかみのお話」と「一日が始まる」は他の映画祭での受賞作品だ。前者は墨の線がどんどん変化していく作品。やはりその想像力が見ていて楽しい。長いロール紙に墨で描いていったものを映像にしているのだが、それはまた鳥獣戯画の展開さえ彷彿とさせた。「一日が始まる」は、色の砂絵のようなものを素材にした作品だが、何気ない夏の日常の、アイスを食べたり花火が上がったりするときの美しさと気だるさのようなものが、ていねいに表現されていた。

今挙げた作品のBGMは、自分達の声と、ピアノの音が効果音的に挿入される程度で、音がない瞬間もあったのに、違和感を感じなかった。作っている本人たちが楽しむこと、自然体でいることが、間を空にせずに必要なものとし、シンプルな構成がより本質を引き立たせていた。ひさしぶりに制作において大切なことを改めて気づかせてくれるものだった。

ネットで革命児が出てきたように、この映像に溢れた日常で、いつかこの中から革命児が出る、そんな確信が持てるほど、エネルギーと想像力に触れることができた。そして今回の第21回を迎えるまでの決して短くはない間、サポートし続けている京都の文化の裾野の広さを感じた。

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