Exhibition Review

2016.11.14

三木由也個展“ 水の器について/山ノ内浄水場 ”

三木由也

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2016年10月5日(水) - 2016年10月16日(日)

レビュアー:吉野正哲 (43) ゴミ収集作業員アルバイト


 

水は繋がっている。水は動き続け変わり続け巡り続ける。空から雨が降って土に吸われる。木の根っこから吸い上げられて果実になる。動物に食べられて排泄される。川は海に流れる。岩清水も汚染水になる。用水路が上水道になって人に飲まれる。毎日の水道水の水がどうゆうルートを辿ってやってきているかを気にかけてる人は少ないと思う。或る日を境に自宅に水を供給する浄水場が別の浄水場に変わっても水質が変わらなければ、その変化に気づくのは難しい。蛇口は物を言わない。

三木由也展は、今は無き山ノ内浄水場の記録写真と、その浄水場の遺影ともいえる記録写真を背負って歩いた記録(「浄水場から実家まで歩く」と「給水域を彷徨う」の2種)のスライド上映と写真の展示、浄水場から実家までの経路をペンでなぞった地図、展覧会全体の短い説明文が展示され、日によって作家本人が在廊して、大変親切に展示についての説明をしてくれる、という構成からなっている。

三木は京都の西京区「洛西ニュータウン」の近隣で育つ。父親は建築家で、山ノ内浄水場を設計した建築家の増田友也の弟子筋にあたる。その関係から取り壊しが決まった山ノ内浄水場の見学に同行し写真撮影をした。操業を停止した浄水場の佇まいに魅了され、保存活用されたら良いだろうと思い、最後まで残っていたポンプ棟に関して、美術展を手がける団体に行政を通じて文書と写真資料を送付した。だが取り壊しに際して反対運動をしたわけでは無い。

西京区は左京区と違い個人経営の新しいカフェとかお洒落な感じのお店や場所が少ない。京都市立芸大もその内、移転してしまう。山ノ内浄水場の跡地には、今は四角くて新しい京都学園大学が建っている。私は浄水場が無くなる寸前に、その前を幾度か自転車で通った事があり、その不思議なフォルムに、いくらかの魅力を感じて「何の施設なんだろう?中に入ってみたい」と思った事があった。三木の話を聞いて、あそこが浄水場であった事を知り、三木の活動に興味を持った。無くなってしまった浄水場の写真の事を、考え続けてるというのが、なにか面白い展開を思わされるものがある。物事が終わってしまった後というのは実はエネルギッシュな状態なのでは無いか?廃墟が取り壊された跡地は再び造成地になり、そのスペースは次の建造物が建てられるまでのつかの間、子供達の熱心な遊び場にもなる。夏が終わった秋の紅葉は沢山の観光客を京都に連れて来る。そして冬はその身に春をずっしりと蓄えている。山ノ内浄水場が終わった後に目を付けた三木にもその様なエネルギーが見えたのかもしれない。三木はそのエネルギーをどう読んだのだろう?

展覧会場の奥の隅っこに古い地図が貼ってある。よく見ると洛西の山の辺りにも小さな点々があって、そこに集落があることがわかる。集落には神社のマークが必ずあって、その辺りには川が流れているようだった。三木にそう話すと「以前、林業をやっている人から、行政界を集水域で区切るというようなアイディアがあるということを聞いた」と教えてくれた。

三木は展覧会中も展示を媒介にしてゆっくりとしたペースで出会いを重ねながら勉強を続けている。洛西ニュータウンにも地蔵があるという話も三木から聞いた。洛西マルシェという毎月最終土曜日に洛西でやっているマルシェで出会ったカップルの結婚感謝祭がその日に行われているので時間があれば覗こうと思うと三木は私を会場の外まで見送りに来てくれた時に言っていた。

自治の単位を集水域で分ける。琵琶湖から全部水を引いてくるんじゃなくて近くの川から、水を引いて村ぐらいの単位で自治的な生活を営む。色々と出来るだけ楽しく自治する。エネルギーも芸能も食料もゴミも死も価値も出会いも結婚も自治する。西京区にも、洛西ニュータウンにも自治的な文化があった方が素晴らしい。職場の先輩に京大の自治寮に住んでいた人で今は洛西ニュータウンで町内会の役員をやったり少年野球の監督をやったりしている人がいる。あの人にこの展示を教えてあげれたら良かったなと思う。そういえば以前、町内会の事で愚痴ってた。コミュニティーを考えるのに、皆が飲んでる水の事を考えるのはとても良い入り口になるんじゃないか?

ずっと前に、多摩川の河川敷にテントを張って暮らしていた友人が共感と共に話してくれた歌の歌詞で「家の蛇口をひねると水が出てきてなんやかな」っていう歌を誰かが書いたそうで、その友人は毎日、多摩川の流れを見ながら、飲食の為の水を公園までポリタンクに汲みに行って生活をしていたわけなのだけど、何度か水汲みに同行した際に、その時間が豊かな時間に感じられた事があった。もちろん彼の人柄にもよるのだろうが、本来、物の中でもっとも生きものに近いと思われる水という「物」との、めんどくさい関わりというのが、こんなに人生にゆとりを感じさせるものだったのかと思った。便利になるとゆとりが生まれるはずが、余計に忙しくなってしまう仕組みの反対の現象が起こっていたのように思う。水の流れを意識しながら写真を背負って歩いた三木の行為は、一見奇妙で不審ではあるけど、実はそこには豊かな時間が流れていたんじゃないか。

ナレーション「昔から住民の連帯感や自治意識を育てて来た祭り。高度経済成長の渦の中で、その祭りが各地ですたれ、沖ノ端でもお囃子の荷い手であった若者たちが町の外に働き口を求め、子供による保存会をつくらなければならなくなった頃、沖ノ端の、そして柳川全体の水路は汚れきって悪臭をはなっていた。そしていま、掘りおこされた住民の自治意識と協同精神の力によって柳川の水路はよみがえり、さらに連帯感をはぐくみながら、人びとにうるおいややすらぎを与え、水路は再び多様な役割を荷なおうとしている」(新文化映画「柳川堀割物語」エピローグより)

柳川の様に水路がある町は日本中探しても数える程しか無い。用水路の維持管理の努力が、そのままコミュニティーの自治意識を未来まで繋いでくれるようなそんな見事なシステムを持たない私たちに出来る事はなんだろう?文化的な用水路を掘る事だろうか?三木の展示をきっかけにそんな大きな問いを沢山の人と考えてみたいと思ったのでレビューを書かせて頂きました。

「町村自治の外、日本を守るものなし。 政治と水理と同じ」by田中正造。

 

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