Exhibition Review

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2015.08.07

月が水面にゆれるとき

木藤純子、曽谷朝絵、中村牧子、和田真由子

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA

2015年6月27日(土) - 2015年8月2日(日)

レビュアー:松村佳世


重い金属製の扉を開けると、そこはグレーのカーペットが敷かれた広い部屋。白いフレームがいくつも壁に並んでいる。近づいてみるが中の紙には何も描かれていない。部屋にあるのはあとは、高さが1mほどの白い直方体だけだ。

直方体の上部には穴が開いていて、覗き込むと底の方に星が見える。たくさんの微小の光がゆっくりと明滅を繰り返している。穴は大きなコップのようになっていて、水が満たされているみたいだ。展示台に触るときに表面が揺れたことでそれに気付く。そっと指を近づけると水面に触れてしまった。いけない、とすぐにひっこめる。いつのまにか、部屋が先ほどより少し暗くなっている。

スポットライトそのものの放つ光の強さはあまり変わってないように見えるのに、部屋の中は明らかに暗くなっている、不思議だ、と思っていると、ふいにライトが全て消え、あたりは真っ暗になる。すると、壁にかかっていたたくさんの白い紙に、絵のようなものが現れている。それらはすべて海の画像だ。ぼおっと淡く光っている。海から目を動かすと、先ほどまでのっぺりと広がっていた、グレーのカーペットが敷かれていたはずの床が、ぼわぼわと立ち上っている。

そんなはずはない。ここには何もなかったはずだ。そう頭では分かっているが、どう見てもそこには「何かある」。おそるおそる一歩進む。だが、進んでも進んでも、床は平らにはならない。目でうまく捉えられないと、足も実感を感じられないのか、ふわふわとした踏みしめ心地だ。反対に肌に空気は、さっきより重さと存在感を増している。
そうこうしているうちに、再び部屋は明るくなって、床は平らに戻った。さっきまで海の絵が見えていた壁の白い紙に、薄い黄色のシミのようなものがいくつもみえる。

まばたきをしても消えない。暗闇に慣れた目が白い紙の中に何かを見いだせるようになったのか、それとも、私の目が明るさに慣れるために見せている錯覚なのか。何がそこにあるもので何が私の身体の反応なのか。

「月が水面に揺れるとき」は、現代の女性作家4名による企画展だ。今まで述べてきたのはそのうちの木藤純子の展示。他の3名がそれぞれ場所に合わせて「作品」を見せてきたのに対し、木藤はそこにある「物」と居る「者」の関係性を変質させることに注力している。モチーフとしての海や星は、いわばそれをつなぐきっかけにすぎないのではないか。久しぶりに美術展で「持っていかれる感じ」を味わった。

帰り道、水にうっかりと触ってしまった指が、なんだか少し痺れているような気がしてならなかった。

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