Exhibition Review

2016.05.19

電源を切ると何もみえなくなる事

林 勇気

京都芸術センター

2016年4月16日(土) - 2016年5月1日(日)

レビュアー:玉田雄一


映像作品はあまり見ない。
理由はごく単純で、たいていの作品は長いからだ。
「上映時間:2時間6分」とかいわれても困ってしまう。
芸術祭など大きな展覧会ではほぼ確実に映像作品がいくつかあるけれど、すべてきちんと見ていたら一日では見切れない、なんてことがよくある。
それならもう24時間、会場を開けっ放しにしておいてほしい。
それか映像作品だけ集めて、映画館でオールナイトで流すとか。

これはあくまで個人的な意見だけれど、そもそも映像作品については展覧会の会場でないといけない理由がよく分からないものが多い。
失礼を承知で言わせてもらうと、自宅でYouTubeで観ても展覧会場で観ても感想そんなに変わらないんじゃないかな、と思ってしまうのだ。
そう思えてしまうのはきっと鑑賞者としてのレベルが低いからなんだろうけれど、実際そうなんだから仕様がない。

作品の並びだとか空間の作り方だとか、いろいろ考えて工夫されているんだろうと思うけれど、そこまで読み解く努力をして「作品を観よう!」という気にあまりなれない。
2〜3分観て興味を持てなければ、観るのをやめてしまう。

そんな私が映像を全部観て、何なら2回観てしまった作品がある。
調べても作品名が分からなかったけれど、内容としては宇宙に興味を持った小学生の姉弟が専門家のところに話を聞きにいく映像だ。
それだけ聞くと微笑ましい話だが、映像を観ているとそんな感想は抱けない。専門家の話が専門的すぎてさっぱり分からないのである。

嬉々として質問に答え続ける専門家。
理解できないんだけれど自分から質問した手前、一生懸命、話を聞こうとしている姉。
完全に飽きて早く帰りたそうにしている弟。

相手の様子を全く気にすることなく夢中になって話をしている専門家と、大人のように気を回して分からない話を聞いている姉の関係性が、通常の大人と子供の関係性と逆転してしまっているのが面白くて観つづけてしまったのだけれど、この作品を観ながらもうひとつ感じていたのは、世界を開いていくのは子供なんだな、ということだ。
子供のように夢中になって調べていく先に、まだ知られていない事実や世界が広がっているのだろう。子供っぽいのは困るけれど、子供らしさは世界を開いていくのだ。

延々と関係ない話をしてきたようだけれど、ここでようやく今回の展覧会と話が繋がる。
展示を観ていると、良い意味での子供らしさが随所に感じられるのだ。
映像と映像を紙のように重ねてみたり、床と壁の境に投影して映像を歪ませてみたり、映像に鑑賞者の影が映り込むようにプロジェクターが配置されていたり。
思いついたことをいろいろやってみながら、映像と戯れている感じがする。
この人、映像が好きなんだろうなあというのがヒシヒシと伝わってくる。

今回の展覧会では他にもいろいろな試みがなされていて本当に面白かったし、「電源を切る」という映像作品にとって正に致命的な試みもなされていたけれど、まだまだ途中でもっと先があるような印象を受けた。
次の作品ではどんな世界を開いてくれるのか、とても楽しみになる展覧会でした。

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