「Beyond Conceptual / Curatorial」

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*本稿は2017年1月29日(日)京都芸術センターにて開催されたトークイベント「Beyond Conceptual / Curatorial」(主催:HAPS)の後半部分をテキスト化したものです。

 
 

遠藤:3人の方それぞれにプレゼンを頂きました。このままディスカッションに入りたいと思います。お三方には、僕は細かい話をしてほしいとオーダーを出してしまったので、細かい話を止めるわけにもいかず、むしろ大きい話になってしまったら止めようと思っていたんですけれども、一向に大きい話になりませんでした。みなさま戸惑ってしまったかもしれませんが、制作および展示に宿るミクロな美学・政治に焦点をあてていく、というのが本イベントの主旨になりますので、よろしくお願いいたします。

しかしお三方それぞれが全く違う話でしたね。ざっくりした言い方をしますが、例えばHAPSのホームページを見ると、この三者の「作品画像」には似た傾向があります。美術の専門家ではない人、あるいは専門家でも、ほぼ同じ傾向の作品と括られてもおかしくないものだと思います。ホワイトキューブの中に、彫刻的なもの、映像、資料、写真、キャプションなどがアーティストによって配置されている。それら全体が作品である。しかもそれは、非常に硬質な、分析的な体裁を持っている。少なくとも「自由な感性で楽しみましょう」というような余地がそこにはないように見える。

ざっくりアーカイブ的なインスタレーション作品であると括られるのかもしれませんが、その乱暴な括りの背後にある様々な細かなことを見ていこうというのが今回のひとつのテーマですので、もっと細かく突っ込んでもいいのかなと思います。

どうしようかな。お三方の中で、ここちょっと聞いてみたかったんだけど、というところはありますか。

田中:トイレ休憩のとき髙橋さんと、ちょっと言い忘れたねという話になって、例えばさっきの僕の説明の仕方だと、僕の展覧会「共にいることの可能性、その試み」(水戸芸術館、2016)も髙橋さんの展覧会「街の仮縫い、個と歩み」(兵庫県立美術館、2016)も、キュレーターはいるにもかかわらず不在、というように聞こえたかもしれない。でも、もちろんあらゆる場面でキュレーターと対話し協働しているんですね。ただキュレーターとの協働のモデルが旧来の関係性から変化しているんじゃないかな。このトークに参加している僕たち3人はキュレーターとわりと一緒に協働しながらやっている部分が強いかなと思うんです。

旧来のモデルは、キュレーターが作品を選んで展示する方法です。アーティストは制作だけをしてキュレーターがディスプレイを行う。いわゆるテーマを掲げたグループ展は大概そういうやり方を今もしていますよね。ところが作品のアイデアを練る段階からキュレーターと相談し、展示の方法も含めて協働するような僕みたいなやり方では(とくに個展の場合は顕著ですが)、事態は大きく違う。展覧会制作というキュレーターの仕事をアーティストが行っていることでもあるから、なんでキュレーターが必要なんだろう、と言われる可能性もある。たまにキュレーターに「じゃあ何をすればいいんですか。」みたいに言われることがある。

髙橋:実際に言われることがあるんですか(笑)。

田中:はい、実際に(笑)。

僕自身海外から来たキュレーターに作品を説明してるときにそういう風に言われたりするんだけれども、多分これまであったアーティスト/キュレーターの立場の違いみたいなものが実は結構一緒になってきてしまっていて。

キュレーターがやる領域までアーティストも介入してきているし、キュレーターも、例えば遠藤君のようなキュレーターは、たぶんアーティスト側に介入してきているような気がするし、双方の立場が歩み寄りをしている。

これまでは選ぶ人/選ばれる人だったのが、コラボレーターに近い形に来ているのではないかなと思ったので、たとえば、髙橋さんの展覧会ではキュレーターとどのあたりで協働があったのかなということを聞いてみたいかな。特に、会場の配布資料について気になっていて。あれを見たときに「このテキストは誰が書いたんだろう」と思ったんですよ。髙橋さんが書いたのか、キュレーターが書いたのか。記名じゃなかったから、語る主体が客観的なようで、主観的でもあって。展覧会会場にある無記名原稿は基本的には客観視点でキュレーターによって書かれているから、不思議な感じはもしかしたら一緒に書いたのかなとか。

髙橋:そうか、記名なかったですか。(資料を手にして)配った資料のひとつは僕が書いた文章です。これは展覧会を構成する個別の作品の説明をしているわけではなく、制作するに至った経緯や、テーマや展示に対しての態度を示すために書いた文章です。

右側には作品リストを掲載しています。田中功起さんの水戸の展覧会とは違い会場の中のマップがないんですよ。つまり「街の仮縫い、個と歩み」というのは展覧会のタイトルであるとともに作品全体のタイトルなので、それぞれに作品としてのタイトルがある訳ではない。このような展示の状態を観客にどうやって説明するか考え、僕が書いたテキストとは別に、担当学芸員の江上ゆかさんに、写真の作品、映像の作品、言葉の作品それぞれについて補助的に書いてもらっています。

例えば一応これはそれぞれの作品のガイドになっています。個別の作品タイトルが無いのならば、それに代わる情報は何かあった方がベターであろうと、僕と江上さんが協議し、こういうテキストでの表し方を採用しました。

キュレーターとの協働についてもう少し言うなら、制作の過程で阪神淡路大震災についてリサーチなり聞き取りをしていると、「髙橋さんが美術館からオーダーされたテーマなんですか」という質問が結構ありました。実際には自ら望んで阪神淡路大震災とそれに関わる事柄を調べ始めたんですが、江上さん自身が兵庫県立美術館で阪神淡路大震災関連の企画をこれまでに担当されたり、95年の震災時には既に学芸員として勤務されていたということもあり、資料や情報の提供も含め様々なやり取りをしました。眞島さんみたいに僕も資料持ってくればよかったんですが…。これまでの震災関連の展覧会や図録、資料等、それらを通したやりとりの中から、今回の展覧会が立ち上がってきたという経緯があります。

また、取材対象に関して言うと、脳性麻痺の鍛治さんは、僕が直アポとって自立支援施設へ行き撮影をお願いしましたし、美術館が視覚障害者のための展覧会プログラムを行っていたことから益田さんは紹介してもらいました。外からは見えないところでの協働、判断がありました。

遠藤:わかりました。他に、この中でどうしても聞いておきたいということがありますか。

田中:眞島さんにも同じことが聞きたいですね。「岡山芸術交流」(2016)では、ディレクターのリアム・ギリックとどのくらいやりとりをしたんですか。

眞島:リアム・ギリックとは、ほとんどしていません(笑)。

田中:じゃあ、リアム・ギリック以外で自分の作品の中に介入というか協働的に関わった人はいなかったんですか。

眞島:えーっと、そういう人はいなかったですね。実務のところで展覧会の実行委員というか、事務局の人がいろいろやってくれましたが、作品の内容には直接関わっていません。打ち合わせのなかでアドバイス的なものはもちろんありましたが、それ以上というのはないですね。

髙橋:じゃあリサーチの過程はどうですか。文献や必要な資料なんか、僕の場合は情報提供をお願いしたりもしましたが、眞島さんは全部そういうのも自前ですか。

眞島:そういう情報は、もらえるものはもらいました。それを入り口にして、その先は自分で調べていったという感じです。ただ、展示に関して、桃太郎の銅像や岡山国体のポスターを借り受ける手続きは事務局の人にお願いしました。その辺は、代わりにやってもらっています。

田中:レファレンスとしてのポスターと桃太郎像を展示するアイデアも、眞島さん当初のアイデアだったんですか。それとも、やり取りの中で変化もあったんでしょうか。

眞島:最初の頃のやりとりで、桃太郎像はJRが持っているというのを聞いていたんですね。それを実際に展示に使うかどうかは、かなり間際になってから判断しました。ポスターについては、原画が残っているというのが展覧会の直前に分かったので、その段階で検討しました。展示は、内容のうえではビデオと粘土彫刻の二つでいちおう完成するので、それを前提に可能性と必然性を天秤にかけて、ああいう形に落とし込んでいった感じです。

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