8 ベーシック・インカム実現のためにできること
—具体的にベーシック・インカムの考え方なり制度なりを広めるため、今私たちができることって何でしょうか。
一つは、使えるものはみんな使おうよということですね。僕もHAPS使ってみようかなと。たとえばさっきのイギリスのミュージシャンへの支援にしても「そんなのあり得ない」みたいな反応がこの国の多くの反応だと思います。でも現実にあるわけです。で、そういう社会にもっていくには、みんなが正当な権利を行使することの延長上にしかないと思いますよ。
日本に住んでいる人たちは自分たちの社会の仕組みはヨーロッパに近いと思っている人が大半です。しかし、今失業している人のうち実際に失業手当をもらえている人は日本で2割ちょっとしかないのです。ヨーロッパだとほとんどの国では8割は越えています。
(出所2006年11月29日放送 NHK「福祉ネットワーク」より) (山森亮「ベーシック・インカム入門」31ページ掲載図)
自分たちの精神的な社会としての自画像と、現実に所得保障がこの国でどういう水準で動いているのかということには、大きな落差があるわけです。そこを直視することから始めたらいいのかなという気がします。
そして、個人個人は、使える仕組みはどんどん使っていく。結局本当に必要としている人の一部しか、現にある仕組みしか使っていないような状況では、普遍的な制度だとか、すべての人が利用できるような仕組みというのはなかなか現実的に想像できないと思います。
実は日本に、70年代の欧米でベーシック・インカムを要求しえた人たちの運動と同じような質の運動がなかったのかというと、あったのです。結果的に歴史に埋没していくわけですが、なかったわけではないのです。たとえば一部の障害者運動でも似たような運動をしていました。
じゃあ、なぜ彼ら、彼女たちはベーシック・インカムを主張しなかったか?
それは彼ら運動した側の主体が違っていたわけではなく、社会の置かれていた状況が違ったのです。たとえば当時のイギリスだと、失業すれば失業手当がもらえました。日本には2010年から2年間しか存在しなかった子供がいれば誰でももらえる手当てが、70年代のイギリスにはすでにありました。
人間の想像力ってどこでもいっしょだと思います。イギリスでは、社会にそれだけのものがあったから、そこからちょっとの想像力でベーシック・インカムという構想ができました。日本は、基盤となる福祉の状況が全然違っていました、そこから同じだけの想像力をもったとしても、ベーシック・インカムまでは行けなかったわけです。
ある日突然、ボンって物事は変わるのかもしれないですが、やっぱりある種の物質的な制約というのはあると思います。そこがもうちょっと変わっていかないと厳しいのかなという気がしています。
でも、一番大切なのは、みんなの頭の中だと思いますよ、最後は。
たとえば子ども手当あらため児童手当も、ふたたび所得制限がついてしまいましたが、それをおかしいとおもっている人はあまりいないのではないでしょうか。僕は、そういうことではないはずだ、と考えています。