11 財源はどうする?という批判について
—ベーシック・インカム実現に向けて、財源確保に具体性がないという批判があると思いますが、そのことについてはどうお考えですか。
僕自身は、特定の政策に特定の財源という発想そのものが、財政のイロハをはき違えていると思っています。防衛費の財源は消費税ですか? 所得税ですか? 放射性廃棄物を10万年監視する人員は、電力会社がつぶれたら国が支払うのでしょうが、それは直接税、それとも間接税からですか? 自治体のゴミ収集サービスの財源は、何税から払うのが本来望ましい? そんな議論はナンセンスだと思っています。どのような税制が公平で望ましいか、ということは大いに議論すべきだと思いますが、特定の政策にどのような税が対応するのかという議論には僕は賛同できません。
その上で、ベーシックインカムほどの規模の政策を、税収をもとに実現しようと思えば、ほとんどの国で、税収構造の大幅な変更が必要になります。これには、日本を含むいくつかの国で、定率所得税、累進所得税、消費税、相続税、環境税などを組み合わせるさまざまな提案があります。今のご質問はこれらへの批判ということでしょうか? そうであるとすれば、一概には答えられませんが、ボトムラインとしては、市民があるべき税制について、共に議論をつみあげ、それを実際の税制に反映させていく、そうした活動の延長上に、答えは出てくると思っています。
—これまでのお話をお聞きしていると、ベーシック・インカムという問いかけと実行が、現在の社会構造全体について大きな疑問を投げかけ、また変容をせまる視点を要請することが理解できます。最後にもう一点お伺いします。ベーシック・インカムに限らない話かもしれませんが、ある考え方が、一旦システムとして導入されると、結果的に硬直化を免れないということがあります。その点について、ベーシック・インカムは対応策を講じられるのでしょうか。どうしてこういうことをお聞きするのかといいますと、ある一瞬だけでなくて、持続して人が生き生きと生活を送るためにはどうあればよいかということなんですが。
僕は、レストランで料理を注文すると、何故か、いつまで待っても料理が運ばれずに、よく忘れられていることが多いのです。どうしてなのか理由はわかりません。現実に、そうした経験が度重なると、ベーシック・インカムのある社会に自分が生まれても、自分だけが何故かIDや住民登録がなくて、給付されない立場になるのではないかと、そんな想像をいつもしてしまいます。
システムである以上、実施してみると、必ずそのシステムからの疎外ということが生じると思います。
結局、どんなに綺麗な美しい考え方であったとしても、それがシステムになった途端、そこに予期しなかった、または容易に予期できた、さまざまな不具合が出てきて、そして、それをどうしていくのかという、絶えざる努力と工夫が当然、必要になってきます。
ベーシック・インカムだからそういう疎外は無くて、すべて解決されると、思考を停止してしまうことの方が、むしろいろんな問題を惹起しますし、危険ではないでしょうか。
でも、現金の、ある種の所得保障を想定した場合、そういう疎外が一番少ない仕組みって何だろうかと考えると、ベーシック・インカムである。それははっきりしていると僕は思います。
—どうもありがとうございました。
○プロフィール
山森 亮(やまもり とおる)
1970年生まれ。神奈川県出身。京都大学大学院経済学研究科修了。東京都立大学、ケンブリッジ大学研究員などを経て、同志社大学経済学部教員。専攻は社会政策。共著:『経済学とジェンダー』(明石書店/2002年)、『福祉国家の変貌』(東信堂2002年)、『ポスト・リベラリズム』(ナカニシヤ出版/2000年)、『アマルティア・センの世界』(晃洋書房/2004年)他
主著:「ベーシック・インカム入門」(光文社新書/2009年)
インタビュー&写真撮影
河本 順子(かわもと じゅんこ)
京都市在住の会社員。現代美術講座「高嶺格:アーティストワークショップ」(2006年)への参加がきっかけとなり、公共と個人の関係性について興味を抱くようになる。そのための方法論を市民の立場より考えることについての思考を継続中。台所大学 picasom に参加(2010年- )市民のための「政治」ワークショップ(2011年)グルジア椅子ワークショップ(2012年)
2013.01.19