ベーシック・インカムとは、「生活を送る上で最低限必要な社会が合意する額を、すべての人に一律に無条件で給付する。」ことを実施する制度のことです。
今回は、日本におけるベーシック・インカム研究の第一人者として知られる山森亮さんにベーシック・インカムの基本的な考え方や、その魅力についてお話しをお伺いしました。人が生き生きとその創造性を発揮するありかたを実現していくことがベーシック・インカムの考え方には織り込まれているとする山森さん。HAPSが現在取り組んでいる芸術家支援事業とベーシック・インカムとの関連性もあわせてお聞きしています。
(文責:河本順子)
(インタビュー実施日:2012年9月24日)
1 ベーシック・インカムとの出会い
—山森さんは、現在は日本におけるベーシック・インカム研究の第一人者として知られていますが、最初からベーシック・インカム研究を志して研究者になられたのでしょうか。
そういうわけではないですね。個人的な話ですが、1990年代の初頭20歳前後に寄場で、日雇い労働者の方々の支援活動のはしっこに出入りしていたことがありました。
時代背景を少し説明しますと、1980年代後半、東京の山谷では日雇い労働者を手配する業者や暴力団に対して、労働者の方々が争議団を結成して自分たちの権利を守る運動をしていました。また、その状況を撮影している映画監督が刺殺され、そのあとを引き継いだ、たたき上げの労働者のリーダーが銃殺されるという事件もありました。その後、完成にこぎつけた映画の上映運動も起こっていました。そうした労働運動の盛り上がりがやや下火になりかけた頃が、僕が支援活動に参加した時期と重なります。
労働者の方々がやっておられた運動を、支援するという形で入ってきたメンバーにはいろんな方々がいました。そのおしゃべりの中で、ベーシック・インカムという言葉ではありませんでしたが「イタリアでこんなこと言っている奴がいるで」と、聞いたのが、初めてベーシック・インカムとの出会いでした。
ただ当時は、バンとお金をばら撒くかのように見える発想に拒否感のようなものが先に立ってしまいました。なぜなら、「労働のちゃんとした対価がほしい」というのが、僕が理解した限りでの当時の労働者の方々の主張だったし、また、そういうことになんとか自分を同一化しようとしていた時でした。なので、一方的にお金が恩恵のように支給されるという、ある種の渡す側が、渡される側を見下したような発想に、「何を言っているねん?」と憮然とした気持ちを抱きました。
ちょうど同じ頃に「働く/働かない/フェミニズム―家事労働と賃労働の呪縛?! 」(小倉利丸 編/青弓社/1991年刊)という本が発行されました。その本の中で、小倉利丸さんがベーシック・インカムの話を「個人賃金」という言い方で、「誰であれ国からお金をもらえる」ということをおっしゃっていました。それにフェミニストの江原由美子さんが反論しておられました。それが活字で見た最初になります。そのときも面白いなとは思ったんですが、それ以上ではないと思い、それっきりになっていました。
—それっきりになっていたのが、何がきっかけで研究対象にまでなったのでしょうか。
20代の後半の頃にいくつかのきっかけで英語圏の哲学者たちがベーシック・インカムの話しをしているのを読むようになりました。そのロジックが面白くて、自分がいろいろ悩んでいたことについて、もう少し楽に構えてもいいよと、そういう考え方の道筋があるような気がして関心を持つようになりました。
もう一つは僕自身の心境の変化ですね。どんなにがんばっても食えないことはあるなということが身にしみてわかったというか…。また、どんなにがんばっても食えないことはあるという現実から、頑張れば食べれる社会にするために、まともな働く場を、と、そんな思考回路だったと思います、昔の自分は。でも、人は、頑張れ、頑張ろう、ということで、ますます追い込まれしまうこともあり、そのことについて、もう少し向き合わなければと思うようになったんです。
もともと、労働の対価でない形でお金が給付されるということは、渡す側が渡される側を見下しているかのような関係性を必然的に孕んでいます。僕も、初めて耳にしたときは、そういう枠組みの中でベーシック・インカムを理解していました。けれども、そういう枠組みそのものを変える可能性をベーシック・インカムは孕んでいるのではないかと思うようになりました。最初のときはそこまでの理解が至らなかったんですね。
ただ、それを実際に自分が研究なり、なんらかの形で調べて人に話すということになるには、そこから更に数年必要でした。
だんだん、興味が高じてきたのでベーシックインカムについての著作のあるイギリスのある大学の先生に連絡して、約3週間その人の家にお邪魔することになりました。1970年代のイギリスでは、ベーシック・インカムを実際に要求する失業者たちの運動があって、後から知ったのですが、その人はそれに関わっていた人だったのです。
(イタリアのベーシックインカム要求運動のポスター)
(山森亮研究室HPより http://tyamamor.doshisha.ac.jp/)
最初は、本の中で自分の考え方を楽にするくらいの程度で読んでいた話でした。それが、当時運動した人たちに会ったりして、象牙の塔の中だけで誰かが議論していたり、僕みたいな引きこもりの人間が空想をめぐらしている話ではないということがわかってきました。ベーシック・インカムは実際に路上で要求されていた運動で、現に要求していた人が目の前にいるわけです。
これは、いけるんじゃないかと。
日本ではそんな運動がなかったわけですが、実際にできるのではないかと思いだしました。じゃあ、そのことを他人に語りかけないといけないですよね?それなら何か書いて伝えようかと思ったのが、ベーシック・インカムについて本腰を入れて研究しだした、きっかけでした。