「クール・ジャパン」のその後と表現:高嶺格インタビュー
Tadasu Takamine Interview

2「表現の自由」について

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高嶺格のクールジャパン関連企画 「高嶺格、自作を語る」2013年2月16日 写真提供:水戸芸術館現代美術センター
 
—「高嶺格のクールジャパン」展の最終週にはトークイベントも行なわれました。
そのときの様子について教えてください。「表現の自由」についても話題になったとか?

 
最初からお客さんに振って、互いに意見交換しましょうみたいな感じで思ってたんだけど、たくさんの方が来てくださって、予想以上に発言しにくい空間になってしまったんです。それでも途切れなく質問が続いたのでよかったですけど。

「表現の自由」については、この状況をほっておくと表現の自由が侵されるぞと、その嫌な予感が僕はあるので、そこはちゃんと意識しておかないといけないということは言ったと思います。
 
—その、「表現の自由」が侵されるということが、高嶺さんがおっしゃったように一般の人にとって何故怖いことなのか、ということですが、たとえば、どういうこと?だと、思いますか。
 
ああ、それねぇ、ちょっと待ってください。(しばらく沈黙)
 
—私も、なんですが、それがなんで大事なのか、わかってるようで実はうまく説明できないというか…
 
うんうん、なんか自分と関係のないところの話のようにね。
 
—そうそう。これはHAPSの事業と関係してくると思うのですが、HAPSが実施している事業には芸術家の居住支援があります。たとえば市民の税金を使って芸術家の支援をすることってホントに必要?とか、それは税金で公立の美術館を維持していくことなども関わると思います。つまり、表現そのものが社会にとって重要で、なおかつ公共性をもっていることに、あまりピンときてないわけですよね。どうなんでしょうか、そうしたことは伝わらなくてもいいことなんでしょうか?
 
そこはねぇ…(しばらく沈黙)
伝えようと思ってる人は一生懸命がんばっていると思うんですよ。作家にせよ、オーガナイザーにせよ、それに理解のある人は。だけどそれがなかなか一般の市民権を得ているようには思えないですね。

たとえばフランスという国は文化事業にかなりのお金を割いていますが、それが市民権を得ているわけですよね。それについては反対意見もあるやろうけど、やっぱり、いやいや、大事ですよと言い続ける人が必ず一定以上いてるということやと思います。
うーん、なんかでもそこは、本質的な問題ですよね…(しばらく沈黙)

「表現の自由」に対する規制はいろんなところでじわじわ来ていると思うんです。ダンス規制法とかアニメ条例とか。
「表現の自由」って、その言葉だけ聞いたら、表現者というか、表現をすることを仕事としている人にしか関係のないことに聞こえるけれども、実はまったくそうではなくて、お互いを監視しあうとか、意見の多様性を認めないという段階に直結する。それはすべての人にとって本当に怖いことで、社会なんてものは油断してるとすぐそんなことになるから、常に注意しておく必要があります。

いろいろ参考になることがあると思うんです。たとえばこの間シンガポールで会ったシアターワークスというグループも、ここは政府からスペースを任されているかなり公的な組織なんだけど、彼らの舞台作品では、シンガポールにおけるセンサーシップを正面から扱っているんです。シンガポールってセンサーシップが激しくて、法律で一人以上集まるとそれが集会とみなされて、届出が必要になるらしい。
 
—ええ、一人以上ですか?
 
うん、前は五人だったのが数年前に一人に変わったらしい。で、法律で決まってるので、それを破った人を無条件で捕まえる権利が警察にはあるわけです。シアターワークスのメンバーが街頭で撮影したビデオで、何十人か集まって街を歩いてみたというのがあって、そしたらすぐ警察が来て解散させようとする。で、「俺たちは集まっているわけでなくて、一人一人で歩いているだけだ」って主張するんだけど、それには耳を貸さずに強行に解散させる。ビデオを見ているお客さんのうち半分以上が若いお客さんなんやけど、まず集会を制限する法律があること自体を知らん子がいっぱいいる。
 
—シンガポールに住んでいる人なのにですか?
 
そうそう、法律自体を知らない。または、法律で決まっていることやから集まる方が悪いという言い方をする子もいる。洗脳がいかにうまく進んでいるかを示す一例だと彼らは言ってました。
参考になりますよね。

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