僕は建築のいらない世界をずっと夢見てきた。:岡啓輔インタビュー

 
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高山建築学校(2015年8月)

 
その頃から現在まで毎年通っている高山建築学校(*1)でコンペがありました。
 
「自分の幻の建築をデザインする」というテーマでした。そのテーマについて僕は、「ここに直径100メートルくらいのガラスの100倍くらいの透明度でできている球体があります。これを掘りぬいて建築をつくる。だから材料と材料がぶつかることはなくてただ掘ってるだけだから、デザインがなにも発生しなくて、ここに透明の四角い部屋をつくってもそれも見えなくて、人がいれば中に浮いているように見えるし、隠れたければカーテンで小さい部屋をつくってしまえば小さい布の箱がそこに浮いているだけに見える。」という絵を描いたんです。それは僕の、建築を消したいとずっと考え続けていたことが、こういう絵になっちゃって、空をみんなが歩いてて、空に寝転がったり、そういう絵になったんです。
 
この絵を、その年の高山建築学校に講師として参加されていた五十嵐太郎さんが見て、「岡さんすごい。」「こんな建築を消した絵、初めて見た。」とか言われました。僕もちょっと鼻高々になって、「いよいよおれも来たな!」(笑)と得意気になったんですよね。
 
高山建築学校の創始者、倉田康男先生はぼくの師匠のような存在なんですが、五十嵐さんが絶賛してる僕の設計の話の傍らで、ちぇっ、つまんねいのという感じで横向いたんです。
それを見て、あ、先生つまらないと思っている、なんでだろう、わかんないな。と思っていました。
 
いや、本当は自分でも気が付いていたのかもしれません。
 
僕は建築が大好きで、学生時代から自転車で日本中を旅しながら、各地の建築をひたすらスケッチして見て回ったりしました。倉田先生からは「岡、建築からしばらく離れろ、建築のことだけ考えていてもいい建築家になれない。」と注意されるほどの建築バカでした。いい建築家になるためには、僕みたいな凡才は何かをあきらめなきゃなれないだろうから、一生結婚しないで一人でいようと決めていたほどでした。
 
そんな僕が、つくることより建築を消すことをひたすら考えてしまっている。
 
つくることにどうやったら向かえるか、自分でもわからず、でも気にはなっている状態で、自分にも自信がない状態で、いろんな人たちと出会い、巻き込まれていきます。
 

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