河原町松原通り近く、Y 字路に建つビル。
急な勾配の階段を上ると、五畳程の空間に裸電球が数灯。何かアナログ機械の動く様な音が微かに 鳴っている。額装のない、印画紙生々しく壁にピンナップされているのはモノクロ写真だ。
写っているのは人や物、なにと判別のつかぬもの、遠景、近景、様々である。
それらをしばらく見て“知っている”と思った。それは普段意識に浮上してこない景色。
しかし足元はるか遠く、記憶をたどれば確かにあったこれらの景色。それらがすくい上げられ、写し出さ れていた。 作者が実際にある場所を撮影したものもあれば、友人知人または自身の写真アルバムを複写したも のもある。これら自分とは何の関わりもないはずの写真が、私の記憶をゆさぶる。ざわつくこころ。なぜだろう。
過去に拝見した谷口円の作品について触れておきたい。
「死神が来たら」(2012)では何気ない日々の中でふと訪れる一瞬の翳り、死の予感の様なものをみせ ている。そんな不穏なものは気にとめないのが健康にはいいやり方だ。だが彼女はそれを逃さず手繰 りよせ確かめようとする。
「comfortable hole bye」-ココというゴリラは、死のことをそう言った。- (2012) 虚空をみつめる剥製達。 彼らに未だ視ぬ死を尋ねている。
そして今回、私が導かれたのは遠い記憶。そこで出会うのは…死者達だ。
現在私は生きていて、こうしてテキストを書いている。だが“あの時のわたし”は死んでいる。それは例 えば今朝目覚めた時の私でもいいのだが、それはもう手の届かない死者の世界に属している。あの時 のざわめきも日差しも感触も人々も。
「自分の中にすっぽりと抜け落ちた記憶を発見した時、目の前にあるものや、かつてあったもの達全て が得体の知れないものへと変貌していくような感覚を覚えた。
この作品はその感覚の質感を表したものであり、その記録である。」 会場テキストより
今回もまた抱えきれぬもの、声なき死者達に引き会わせてくれたことに感謝している。