川合玉堂「雨後」
後半日程に出かけた。
川合玉堂「雨後」
左側、空にかかった虹が思わず声が漏れ出たほど美しい。右側の雨上がりにけむった木々も生き生きとしている。
自然の景色を堪能しながら目は1点でとまる。絵の下方、真ん中やや右あたりの岩陰に隠れるように描かれた2人の人間だ。蓑と笠をまとい手漕ぎの小舟の上で何か作業している。雨が上がったので舟を出して魚をとりにいくところなのか、網などの漁具の手入れをしているのか。
圧倒的な自然の中で人は小さい。しかしこの絵を目にした時、「愛」という言葉を感じた。この作者はこの「人」を愛している。何故だか分からないのだが理屈でなく伝わってきた。人はこの小さな大きさでなければならなかったと感じる。人も自然の一部だからという大前提とあわせて、彼らへの愛が余りにも大きく伝わってくるからだ。
違う絵に関する音声ガイドの説明で、この画家は「自然を愛した画家」というような説明がなされていた。
そうなのだろう。
この自然の風景の絵は素晴らしい。
そしてそれ以上に、雨上がりに黙々と働く人に対する大きな「愛」が心を打った。
美術に関することの物の知らなさに私は劣等感を持っている。美術品を見ても何も分からないことがほとんどだ。
そんな私にもこのように伝わってくることがある。
雨上がりのひんやりとした空気が頬に感じられたということは、一瞬でも絵の中に入りこんでいたのだろう。
画家というのは大変な仕事だ。絵が上手いのは当たり前。その上で言いたいことを伝えなくてはいけない。言いたいことは何もなくて、ただ自分の絵のうまさ、高い技術を見せるだけの絵を描いても、見る人の心を打たない。
それを言えば作家や音楽家なども同じなのだが・・・。
芸術家が登っている山は私たちが思う以上に険しくて、はてがない。
雨の名残を孕んだ空気の感触、見上げた空にかかった虹、岩陰に見える働く人の蓑と笠・・・。
風の微かな音とともに心に残った。