入り口と出口が同じ迷路
白い大きなシャッターをくぐり、広いギャラリーの空間に30以上の作品のピースが点在している。学校のつくえ、椅子、小さな椅子、ベッド、木材、ダンボール、ストーブ、そして、ベニヤ板がわらわらと。ギャラリー内に進み、足下に並ぶ作品を真上から注意深く眺め、作品の周りをぐるぐると練り歩く。何度も何度も同じピースをみているはずだけれど、同じ見え方がしない。もう、この道を何周回ったか分からなくなってきた。
並んでいるベニヤ板、角材、発泡スチロール、陶器やガラスにはラフなタッチの細やかなドローイングが施されていて、描線をじっくり目で追うと気持ちが良い。なかには連続する編み記号や、織りの図案もベニヤ板に描かれている。波のようなそれは、それぞれの素材特有のテクスチャーを上書きするように描かれているようにも見える。
途中、一度入り口まで引き返し、ピースのなかで一番多いベニヤ板を観察してみる。ベニヤ板はキャンバスのように使われている反面、壁にぴっしりと養生テープで張られたり、椅子の上で湾曲してみたり、壁に頼りなくもたれかかったり、地面に横ばいになったり。一枚で独立するベニヤ板はどこか頼り気がなく、それでもその大きな表面積は、空間を彩っている。
ラフに細やかなドローイングは、遠くからは見えない。離れてみるとまるで陰影のようにも、シミのようにも見えて、それぞれのピースが目の前にきたときに、はじめてこれがそうなのだとわかる。
そのドローイングを歩く速度にまかせて次々と捉えていくと、一連の具体性によってだんだんと、ぼんやりとイメージが湧いてくる。さっきと違う順番でピースを眺めていくと、また違うようにも見える。面白くなって、またぐるぐると歩み進めてしまう。何周しても何周しても景色が変わらず、それなのに同じ場面が一度もないような感覚にも陥る。入り口と出口が同じところにある迷路のようなインスタレーションで、そこにある全てを確認したくなる。
中村奈緒子の「ネイチャー」にて歩き疲れた。それは確かにコンパスの使えない森に迷ったように、目印になるものも何もない空虚なジャングルにように展開され、そこにあった。