胎の行方 ー染谷聡「咀嚼する加飾」展評ー
染谷聡の作品を思い浮かべた場合、その代表的な特徴として「有機的なフォルムを持った胎※1の上に散りばめられた文字やコミカルな図案」を想起する人が多いのではなかろうか。その期待を胸に会場を訪れた観者は、そこで展開されていた作品群を見て戸惑いを覚えたはずである。このような私の推測が成り立つほど、本展で展示されていた作品群は従来の染谷作品とは異なる印象を持つものばかりであった。しかし、これを単に彼の別シリーズの仕事として解釈するのはいささか野蛮といえよう。なぜなら、この飛躍ともいうべき作風の変化は、これまで染谷作品で用いられてきた漆芸における加飾※2という技法がその概念の拡張を通して、本作品群に反映されているように見受けられるからである。
まず、本展に先行する形で2010年に開催された「植葉香澄 × 染谷聡」展ギャラリー恵風(京都)に触れることにしよう。この展覧会で発表された作品郡では、先に述べた染谷作品の代表的な特徴が極力抑えられ、胎に施されていた文字や図案がそのまま立体化したような展開であった。文字、(及び発音)とフォルムの融合は彼の研究対象となっている江戸文化の「判じもの」 ※3 の影響化で、遊び心のある造形物としてデフォルメされ、会場全体が非常に風通しの良い展示となっていた。そのためか多くの工芸作品が持つ求心的な鑑賞構造とは異なり、観者の目線が他の事物へと拡散していくよう作品が配されていた。それを効果的に展開する方法として彼が選んだ手段がインスタレーション形式の展示方法といえるだろう。注目すべきは個々の作品が空間を「飾る」ようにインスタレーションされている点であった。漆芸における胎と加飾の関係をベースにした場合、この変化は染谷作品の加飾における胎の変化を意味しているのである。つまり、加飾の胎となる対象が漆面に限定されなくなり、代わりに胎となったものが自分の意志と関係なく既にそこにあったもの(=ex. ホワイトキューブ)へと変化したことである。
それでは、話を本展に戻そう。「咀嚼する加飾」展に出品されていたものの多くは、彼が日常的に収集している気になったものに漆が寄り添う形で展開されていた。本展の作品について特徴を挙げるとすれば、拾得物に対して、そのフォルムに沿うように成形された漆のパーツは器物の形状を取りながらも、その立ち位置はあくまで拾得物を「飾る」ことに徹している点である。それを可能にするため染谷は研ぎ、色漆、加飾の塩梅に対して細心の注意を払っていることが作品から窺い知ることができる。また、漆芸における加飾の工程では、胎を制作したのち、加飾の工程が行われる。そのことを考慮しても、本展の漆のパーツは加飾と同じ順序で作り上げられているため、やはり染谷が制作したものは加飾に他ならないといえるだろう。
2010年の展示に比べ、実験的要素とラディカルさは影を潜めるも、胎を選ばなくなった彼の加飾理論は素材の扱いづらさや技法から胎に沿った展開を余儀なくされてきた従来の加飾表現を更新するものである。たとえば、漆芸においては胎を制作した後、その表面に加飾を施していくことからその物理的なボリュームは「胎≧加飾部」であるが、本展に出品していた作品群に多く見られた点は「胎≦加飾部」である。このとき加飾は基本的に胎から独立した形で制作が進められるため、その両者の間に地と図という概念自体存在しないのである。これは加飾という概念を拡大解釈した染谷にとって漆を塗ることが、もはや塗師(ぬし)や蒔絵師※4 のそれとは全く別の概念として捉えられていることを示す好例であると考えられよう。また、染谷独自の加飾概念が示された本展では、さらなる作品の展開を予期させる興味深い作品もあり、次回の展示が楽しみに思えた。
※1 漆または木で制作された素地。
※2 胎にアワビ貝や金箔、色漆などで装飾を施す伝統的な技法。代表的な加飾技法としては蒔絵、螺鈿、沈金などがある。
※3 文字や絵画に、ある意味を隠しておき、それを当てさせるようにしたもの。
※4 分業制が取られた漆芸において特に漆を塗る職工を塗師、加飾をする職工を蒔絵師と呼ぶ。