今という一瞬が永遠に生かされるということ
何度も眺めていた痕跡の残る写真集を、友人から手渡された。「アンリ・カルティエ・ブレッソン」彼女が好きだという写真家の展覧会が、何必館で開催されているという。仕事で行けない彼女の目となれればという想いと写真集を胸に、私は京都へと向かった。
重厚なガラス扉を開けると、どこか白昼夢を見ているようなブレッソンのモノクロの世界が広がる。彼の切るシャッターの一瞬には、様々な形容を用いて多くを語る以上に、当時の社会情勢を汲み取ることのできる風刺画にも似たような説得力を放っている。
その一枚一枚には何処か哀調を湛えた中にも、ユーモラスさ、力強さ、そしてロマンチシズムがそれぞれに感じられ、サイレント映画を一コマずつ静止したものを観ているような詩的で絵になる日常で溢れていた。一瞬を絵的に切り取ることで永遠のものへと変えてしまうブレッソンの、今を大切に生きるというメッセージが込められているようだ。雨の後だろうか水浸しになった通りが水鏡となり、その上を軽々と飛び越える紳士を映したものや、たぶんおつかいの帰りだろうか、ボトルを両方の小脇に抱えた少年の今にも小躍りしそうな表情に「何かお楽しみがあるのかな。」と写真の背景に潜むものへと想像力をかき立てられる。また混乱期の荒れたスペインの街角に見る子供達のはしゃぐ姿に一筋の光を覚え、螺旋階段の上から見下ろした石畳の下り坂を、颯爽と駆け下りていく自転車から風を感じたり、何気ない日常の一瞬をドラマチックに切り取る技は、彼の写真集を『決定的瞬間』と翻訳されたことで多くの写真家に影響を与えたというのも頷ける。
また絵的な構図は、ブレッソンが写真を始める以前に絵を学んでいたということが大きく作用したのだろうと、彼の年譜から推察する。
そして晩年のブレッソンは、再び絵筆をとっている。一瞬で時を切り取る写真と対照的ともいえる絵を描くことで、ブレッソンは自分に残された今という時を、ゆっくりと刻んでいきたかったのではないだろうか。