もじゅうりょくツアー
急に電話がかかってきたものだから、バタバタとペンと紙を用意して、矢継ぎ早にメモをする。寝床にて閃いたアイデアをメモ帳に書きなぐってから、もう一度夢の中にまどろむ。そうして、時間が立ってから見直してみると、自分の文字が読めなくなっていることがよくある。というか、誰が書いたの、これ? 紛れもなく自分の文字だけど…。こうした感覚は、もしかしたら〈もじゅうりょくツアー〉への入り口かもしれない。自分の文字がまるで勝手に動き出すようなイメージ。それを意図的にやってやろう、というのが大原大次郎の『もじゅうりょくツアー展』。
文字を工学的にアプローチする「タイポグラフィ」や、カウンタカルチャーの文脈から生まれた「グラフィティ」とのちょうど中間あたりの「文字」が並んだ空間には、ホテルのエントランスとは思えない、ほっこりとして空気が流れていた。
ひとつひとつの「図」をよく吟味すると、だんだん「文字」にみえてくる、その感覚がたまらない。写真に写り込んだ木の影が、女性の顔に見えてくる心霊写真と同じで、あてつけのような可読性。照明と影を用いて文字を完成させるインスタレーション。黒板に書かれた、文字の迷路のような絵画。スケボーの裏に文字が彫られた、彫刻。どれも文字に対してストイックに挑んでいて、その文字本来のフォルムと意味との必然性みたいなものを隠喩している。
そういえば、小学生の頃。漢字の「田」の練習の宿題をしているとき、はやく終わらせたい私は「田」の一画目だけを20回書き、二画目を20回書き…へんてこな漢字にして提出した覚えがある。(きれいに書こうとした文字の場合は、定規を使ったりしたこともあった。)そうしてできた漢字は私の手元から、するりと通り抜けて、「田」になっていた。
思えばこの頃から私の「もじゅうりょくツアー」は始まっていた。この展覧会はそれを思い出させてくれる、秘密の暗号が書かれていたのかもしれない。