旧暦7月24日(8月24日)の地蔵盆の頃、京都の町は至る所の路地(ろうじ)に子どもたちの声が溢れる。京都ほど、日常の生活空間にタイルとホコラが密集している都市も珍しい。そんな京都の、若者や観光客たちが夏休みにショッピングで賑わう河原町三条のGallery PARCで、「タイルとホコラとツーリズム 」展が開催中だ。
谷本研の「ホコラ三十三所巡礼」は、西国三十三所巡礼になぞらえ、市内で採集した200カ所ほどの地蔵祠から33カ所を厳選。選ばれし33のホコラ写真を小さなホコラに額装し、一つ一つに、谷本自身が詠った御詠歌が綴られている。会場には33カ所の場所とルートと御詠歌が記されたマップが配布されていて、私たちは会場を飛び出て、谷本の追体験をすることができる。
33カ所の選定基準、谷本はそんな堅苦しさを軽々と飛び越えて、「御詠歌を詠めるかどうかを基準で選んだ」と言う。
私たちが町を歩くときの興味のセンサーは、しばしば写真を撮ることをピークに、撮ることで満足し、記憶はHDDに沈殿していく。しかし、果たしてそれで本当に対象に接近できたのだろうか。
谷本はホコラの特徴をノートに書きとめ、その場所の歴史や由縁を調べ、時には所縁の唄を引き合いに、現代語と古語を往復し、決められた形式で33の新たな物語を編んでいく。そのようにホコラと対話を重ねていくことで、対象に肉薄して生まれた御詠歌は、まち歩きというだけで満足してしまう私たちの漫然さや惰性を、ツーリズムの地平にまで広げてくれる。
中村裕太の「納涼盆棚観光」は、河井寛次郎の一節と夕涼みに着想を得て、竹で組まれた盆棚にタイル片が無数に吊るされている。
すべて中村が拾い集めてきたタイル片だ。一つの綺麗なピースもあれば、裏にモルタルがこびり付いたタイル片、欠けたタイルやモザイクタイルの塊など、さまざまである。中村のまち歩きもまた、現代社会から弾かれた欠片を求めて都市空間を巡る積極的なツーリズムと言える。
来場者はまるでパン食い競走のように目線より少し上を見上げ、目と鼻の先のタイル片を表からも裏からも立体的に観賞することができる。盆棚の中に立つと、視界にはタイル片が無数の重なりと奥行きを感じさせ、一瞬、目のやり場に戸惑ってしまう。なぜなら、破壊され破棄されたはずの無数のタイルの無念さが、中村の手によって一つ一つ竹に麻紐で括り付けられ吊るされることで、物質感としての「美しさ」に昇華されているからだ。
中村は人と生きてきた時間の蓄積されたタイル片を、様々なモチーフに転じて用を為すことで、ふたたび生を吹き込むのだ。しかも、夕涼む藤棚のように爽やかに、何気なく。