Exhibition Review

2021.02.26

分離派建築会100年 建築は芸術か?

石本喜久治、瀧澤眞弓、堀口捨己、森田慶一、矢田茂、山田守

京都国立近代美術館

2021年1月6日(水) - 2021年3月7日(日)

レビュアー:山際美優 (21) 大学生

ステイホームにも慣れてきた。京都の冬は厳しく、外出するにも腰が重い。いざ「我々は起つ」と一念発起し、国立近代美術館へとやってきた。お目当ては、特別展「分離派建築会100年 建築は芸術か?」。分離派建築会とは、1920年に東京帝国大学工学部建築学科の卒業をひかえた6名の同志によって結成されたグループである。同年7月、日本橋の白木屋で第1回作品展を開くにあたり、岩波書店から自費出版した作品集のなかで、過去建築
からの分離を宣言する。「我々は起つ」と。

同展覧会では、「我々は起つ」と血気盛んに宣言した若き建築家たちの言説がコラージュされた廊下を進みながら、セクションごとに小分けされた展示室を楽しむことができる。分離派建築会の面々は、「歴史からの分離」という大義を共にしながらも、各々が手掛ける設計案は非常に個性に富んでいる。堀口捨己の『小出邸』の内部意匠などは、椅子と机が置かれていても茶室のような空間に思えるし、山田守の『国際労働協会』はイスラム教のモスクに似ているような。瀧澤眞弓の『山岳倶楽部』における複数の構造体が重なって成り立っている様は、ロマネスク様式の聖堂を思わせるし、皆様々に自由な造形が表現されている。

「分離派」という名称は、伊東忠太の建築史講義でウィーン分離派の話を聞いて感激を受けたことから由来するとのことだが、「1920年代日本」という舞台設定は非常に重要なものと思われる。西洋文化の模倣を、真に日本的なる建築を、合理的なモダニズム建築を、と異なる主張が交錯する中、彼らはそれらからの「分離」を選んだ。これは余談であるが、同展覧会の1章「迷える日本の建築様式」で、帝国議会議事堂の設計案決定の経緯と、小林多喜二らが投獄された旧豊多摩監獄の煉瓦片が横並びに展示されている。このことは、津田青楓《ブルジョワ議会と民衆生活》と併せて考えることができるようにも思うのだが、私の突飛な空想に過ぎないだろうか。

また同展覧会は、堀口捨己を「白樺派に憧憬をもつメンバーのなかでは、どちらかといえばロマンティスト」として説明している。白樺派によって紹介されたオーギュスト・ロダンの影響を受け、彼らが彫塑的な建築の習作を手掛けるようになったことは、3章「彫刻へ向かう「手」」においても取り上げられている。その3章の展示空間の壁に貼られた堀口の文章に、「テムペラメント」という言葉が使われているのが見られる。「テムペラ
メント」とは、英語のtemperamentをカタカナ表記したもので、気質・性質を意味する言葉であるが、白樺派の柳宗悦がポスト印象派を評価する際や、哲学についての論考のなかで積極的に用いた用語でもある。分離派建築会が、自身の内なる気質=テムペラメントの発露を目指したことと、白樺派からの思想的影響があったことを示唆しているように思う。

さて、若き建築家たちが「我々は起つ」と宣言してから100年が経った。当時はスペインかぜが世界的に猛威を振るっていたというが、現在ではまた新たなウイルスがパンデミックを起こしている。先の時代では「建築は芸術か?」という問いが立てられていたの対し、今では「芸術は不要不急か?」などと騒がれている。さあ、私も怠惰な若者の一人として宣言しようではないか。「我々は起つ」と。そしてコートを着込み、マスクを装着し、美術館にでも行こうではないか。

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