その日は雨が降っていて、暦の上ではもうすっかり春だというのに最高気温が10℃しかない寒い日だった。寒いし雨にも濡れたくない、どこか雨宿りできそうな所はないかな?そんな軽い気持ちで入っただけだった。ここは「ギャラリーにしかわ」。以前一度入ったことがあるのと、常時誰かの展覧会をやっているということだけを覚えていた。
現在開催されているのは「浅見 惟-漆芸展-」。私にとって漆と言えば普段使いしているお味噌汁用のお椀やおせちの重箱にお箸といった身近な物たち。そういえば最近新しいお箸が欲しいと思っていたし、何かちょうどいいのがあるといいな。なんて考えながら初めに出迎えてくれたのは、蓋に貝を貼って表現したという目玉付きの小さな小箱。蓋の正面に見据えるその目は中身を外的から監視して守る守護者の様だ。き、期待を裏切られた・・・。私の思い描いていた漆器とはいい意味で遠く離れたポップな姿に、このような自由につくられた姿があるのかと驚いた。ふと、会場全体をぐるりと見渡してみる。卵の様なもの、人の頭のようなもの、繭のようなもの。ここに置いてあるほとんどが小さなサイズの箱もので、そのどれもが緻密で綿密な装飾によって彩られている。一言で表すならユーニクでお洒落。
それらの中でも特に気になったのが、乾漆蒔絵隠盒「編」だ。人の顔に格子が描かれ、お笑いコントのカツラがぽんっと抜けるようにして蓋が外れる小箱である。可愛らしさとユニークさが同居しており、部屋に置いてあったら何をしまうか迷いすぎて1時間2時間は平気で経ってしまいそうだ。でも箱に入れるってそういうことなのかもしれない。「大事だから」「失くしたくないから」「いつもここにあると覚えておきたいから」そんな思いがあって私たちは“しまう”という行為をする。つまりしまう物とは私たちにとって特別な何かなのだ。それならば、何をしまうか迷う時間も大切な気がした。
そうやってじっと作品を観ながら考えに耽っていると、スタッフさんが話してくれた。「浅見にとって箱は日常と非日常を分ける存在。箱の中に何かがしまってある状態が日常であり、その中身、例えばアクセサリーを出して身に付けた途端、日常が非日常に変わるのである」と。ということは、箱は私たちに日常と非日常を繋げてくれ、生活に彩りを与えてくれる存在なのかもしれない、そう思えた。
お箸はなかったけれど、まだ見ぬ形の漆器に出会える、そんな素敵な展覧会だった。これで外に出たら雨が止んでいたなんてことになったら、素敵なオチがつくのだけれど。生憎そんなことはなく、寒くて雨が降りしきる中私は帰路に就いた。